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- 2014/6/6 9:29
- 思い込みが激しいと言われようと、
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- 『真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しおの色にこそ知れ』
林忠崇
請西(じょうざい)藩(現千葉県木更津市)第3代藩主・林忠祟(ただたか)(1848~1941年)辞世
上総請西藩一万石藩主。
忠崇は旗本時代から、代々家康以来の譜代の臣という意識の強い家風の中、忠崇は20歳にしてその意識を人一倍強くもっていました。
彼が家督を継いだ翌年、忠崇21歳の時15代将軍慶喜は大政奉還を行い、江戸幕府は終焉を迎える。
しかし若い忠崇は徳川に忠義を尽くす為戊辰戦争において徳川方として、新政府軍に対し藩内一致で徹底抗戦を決意。
大名自ら脱藩などという事例は日本有史上、
この忠崇以外にはない。
こうして忠崇は全てを捨て、かつての部下たちと一藩をあげて家康以来の忠臣としての義と誇りをかけて徳川家のために、新政府軍と戦うことになる
しかし小田原藩や関東諸藩は次々に恭順の意を、忠崇一党は奥州に走り、東北諸藩に対し決起を促し彼らは各地で新政府の大軍を相手に激闘を繰り返す。
徳川家の存続が約束され、忠崇は当初の目的である徳川家の存続
なった以上、もはやこれ以上戦うのは無意味と悟り降伏。
藩主としてかつての部下であり、ともに戦ってくれた旧上総請西藩士の命にかわって切腹を覚悟する。
当時でも、他の大名に、あいつ!思い込み激しい奴だからなと言われてたのかな、www
現代なら、空気読めよ愚か者何て馬鹿にされるな。
まじめな人々は淘汰され、腐った奴らの子孫達で成り立つ日本の社会だから。
僕はこの生き方に感銘する。思い込みが激しいと言われようと
どんまつ
- 『真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しおの色にこそ知れ』