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- 2013/1/29 13:00
- ひでよりくんの正体やいかに?の巻〓
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- 1583年5月に秀吉は柴田勝家を越前北の庄に追い詰めて滅ぼし、お市の三人の姫を保護する。お市は秀吉を憎んでおり、当然ながら娘たちの長女の茶々にもその思いは日がな振り切る事かなわぬ鬱屈となっていたのは想像に難くない。秀吉は10年前に父と兄を殺して城を奪った仇というイメージは母の自害に直面したとき決定的になったのだろう。下の妹たちはまだ幼すぎて父の印象が鮮明ではないが自分はそうではない。おそらく茶々の境遇の突出度は戦国史上でも類を見ない程のものだろう。大名の息女、天下人の側室、三度に及ぶ落城の運命。さて、秀吉が長浜城主の頃に側室の南殿の産んだ秀勝が早世したあと、甥の秀次、秀保、秀勝らを養子に迎えて功なり名を為した自身の偉業を継承せんとしたが、残念ながら甥の中では秀次以外に人物がいないという事態に悩んだ。妻の北の政所は兄の子(秘)の金吾を養子にして正式な跡取りにと画策したが品性粗忽なこの少年を秀吉は好まなかったという。1588年、島津を降伏させて天下人となった秀吉はふさわしい後継を口実に信長の姪である茶々を側室に迎え、淀に専用の城まで築いてやった。茶々は秀吉を絶望させるために何が必要かを思い描く。両親の無念と無関係に自分がこの世でもっとも憎い相手の妻になどなるわけがない。そう、
秀頼は秀吉の実子ではなく、政治上、実子であることになった他人の種の子であり、先に早世した鶴松とは違う。
- 1583年5月に秀吉は柴田勝家を越前北の庄に追い詰めて滅ぼし、お市の三人の姫を保護する。お市は秀吉を憎んでおり、当然ながら娘たちの長女の茶々にもその思いは日がな振り切る事かなわぬ鬱屈となっていたのは想像に難くない。秀吉は10年前に父と兄を殺して城を奪った仇というイメージは母の自害に直面したとき決定的になったのだろう。下の妹たちはまだ幼すぎて父の印象が鮮明ではないが自分はそうではない。おそらく茶々の境遇の突出度は戦国史上でも類を見ない程のものだろう。大名の息女、天下人の側室、三度に及ぶ落城の運命。さて、秀吉が長浜城主の頃に側室の南殿の産んだ秀勝が早世したあと、甥の秀次、秀保、秀勝らを養子に迎えて功なり名を為した自身の偉業を継承せんとしたが、残念ながら甥の中では秀次以外に人物がいないという事態に悩んだ。妻の北の政所は兄の子(秘)の金吾を養子にして正式な跡取りにと画策したが品性粗忽なこの少年を秀吉は好まなかったという。1588年、島津を降伏させて天下人となった秀吉はふさわしい後継を口実に信長の姪である茶々を側室に迎え、淀に専用の城まで築いてやった。茶々は秀吉を絶望させるために何が必要かを思い描く。両親の無念と無関係に自分がこの世でもっとも憎い相手の妻になどなるわけがない。そう、