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    • 2018/7/21 21:27
    • 五畿七道
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    • 律令制における行政区画
      五畿七道

      五畿とは
      大和、山城、摂津、河内、和泉 の五国

      七道
      東海道、伊賀より東へ
      東山道、近江から東へ
      北陸道、若狭から東北へ
      山陰道、丹波から西へ
      山陽道、播磨から西へ
      南海道、紀伊から南西へ(四国)
      西海道、九州

      なお、所管政庁が置かれたのは西海道のみで、太宰府が所管した。

      北海道は当時区画自体がなかった。

      また、道ごとに国府を連ねて駅屋が置かれる官道があった。

      なお、畿とは帝都の意味、
      帝都周辺を畿内、周辺五国を五畿とし「近畿」とする。
      孝徳紀の大化二年の改新の詔では、幾内の範囲を定めている。
      さらに、
      天武紀十四年七月辛未の詔で
      東山道美濃以東、東海道伊勢以東諸国有位人等、並免課役
      とある。
      このように律令制施行と同時期に幾内七道の範囲が確定したと考えられている。
      延喜式では近江、美濃、飛騨、信濃、上野、下野、陸奥、出羽の八国を東山道とする。

      なお武蔵国は東山道から東海道へ移管(続日本紀、宝亀二年、771年)

      律令制以前には紀記に次のような記載がある。

      祟神紀に大彦命を北陸道へ、武淳川別を東海に、吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波に遣わしたとある。従わない者は伐てと。
      古事記の祟神記では大毘古命を高志道、その子建沼河別を東方十二道、日子坐王を旦波国へ派遣した。
      景行記では倭建命を東方十二道へ派遣。
      これらは大彦命らを将軍とするまつろわぬものの征伐を目的としており、派遣主体にとり未征地を対象としている。だから「道」とは古代幹線道と幹線道沿いの各小地域を指すと思える。

      やや異質なのは、景行紀に東山道十五国の記事である。

      五十五年春二月戊子朔壬辰、彦狭嶋王を以て東山道十五国の都督に拝す。是、豊城命の孫也。






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