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- 2015/1/23 10:08
- 凶悪事件…
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- と、あることから最近凶悪事件の判決に興味がある。
そして岡山県が現場となった東大阪集団リンチ殺人事件を詳しく知るうちに事件の主犯である小林竜司への判決に「何か引っかかる」と感じるようになった。
この何か引っかかる感じ。ちょっとした違和感の正体の謎を紐解くために、小林の事件・判決とはある意味で対照的だと個人的に考える2つの事件をあげる。
千葉県松戸市の女子大学生殺人事件(竪山辰美)と沖縄の女子中学生殺人事件(上野勝と柳末盛)
上記の千葉、沖縄2つの事件の加害者が犯した罪の内容や更生の余地や人間性の有無を小林竜司と比較してみたが、生かすに値するのはどう考えても小林だと思える。
だが3つの事件において現時点で死刑。すなわち死をもって罪を償う他なしと判断されたのは小林のみだ。
もちろん小林のやったことは許されることではない。
ただ、そうせざるを得なかった経緯も一部においては理解できるところがある。
最終的な殺害手段の残忍さを考慮しても、比較した2つの事件の非道さ、著しい人間性の欠如には遠く及ばないと感じる。
恐らく一般的な日本人の感覚ではそう感じるのではないか?
そうだと思いたい。
裁判員裁判はそうした一般的な感覚を取り入れて、判例に縛られた判決。勉強や出世レースには長けてはいるが一般的な感覚が欠如した裁判官との乖離を埋めるために設けられたのではないか?
最終的に被害者の数で量刑が決まるのであれば一般的な感覚を取り入れようという裁判員裁判自体が茶番になりかねない。
話が裁判員裁判に逸れた感があるが、小林竜司の裁判が後に制度化された裁判員裁判であれば判決は死刑だったろうか?
同じく沖縄の事件も裁判員裁判であれば裁判員が下した判決は本当に無期懲役であるのか?
そして幸いにも裁判員制度施行後に千葉県松戸市の事件の裁判で裁判員が下した適切な(一般的な感覚では)死刑判決を不幸にも破棄した裁判官の判決はいかがなものなのか??
小林竜司の事件の判決に感じた違和感は今の司法への不信感にほかならないのかもしれない。
小林竜司の事件と比較にあげた2つの事件を知って感じたことでした。
- と、あることから最近凶悪事件の判決に興味がある。