ラグ爺さんとモバ友になろう!
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- 2011/4/9 23:28
- あれから…
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- 約1ヶ月が経ちました。あの日は前日が爺ちゃんの誕生日で、女川の実家に戻ってた。普通にイオンで買い物して、ロッテリアでメシ食って、実家で昼寝して…目を覚ましたら、大地が唸ってた。もの凄く揺れて家の中はメチャメチャになった。家族を外に出して、揺れが落ち着くまでタバコを吸ってた。近所のおばちゃんとおっちゃんと津波の話をしながら…。ここまでは絶対来ない。誰もがそう言ってた。みんなチリ地震津波とか、宮城県沖津波とかを経験してた人達が口を揃えて言ってた。家が建ってた場所も海を一望できるくらいの高さの高台にあった…のに。揺れが落ち着いて母親と家に戻ってキャンプでも張るかって冗談言ってると、また余震。危ないから外に居ようって言って、また外に出た。車でテレビが見れるからって、みんなでテレビを見てた。大船渡がやられた。宮古がやられた。女川も港が落ちたって誰かが言った。外にでたら、鳥がバタバタと飛んでいく。…おかしい。下水が逆流してる音が聞こえた。…マンホールの上にいる人を見て、危ないって思わず叫んだ。次の瞬間マンホールがずれた。町を見ると、轟音と砂煙、水しぶきをあげながら町を飲み込んだ瓦礫が迫ってくるのが見えた。逃げろ!死にたいか?そう言って近所の人達と側にいた家族を山に逃がした。…まだ爺ちゃん車の中だ。車から降ろして一緒に山に向かって歩いた。年だから子供より歩くのが遅いんだ。つまづいて転んじゃって、起こしたところで水が足元を飲み込んだ。後ろを振り返ったら大波が迫ってきた。…ダメだ。覚悟した。隣で爺ちゃんが子供達って言った。すぐ戻る!って言って走り出した後は何も覚えてない。妻の呼ぶ声の方にとにかく走った。新しくできたばっかりの町立病院に繋がる避難路。その中腹に土手に上がるハシゴがあった。夢中で這い登った。誰かが言った。今日の午前中に出来たばっかりのハシゴだって。土手の上から全部が見えた。役場が屋上を残して飲み込まれる。船がその横を流れていく。何もかもが流されていく。自分の車が目の前を流れて行ったと同時にさっきまで昼寝してた家がすぐそこにあった。子供が震えてた。抱きしめたけど大丈夫って言ってあげるのが精一杯。波が引いていく…。今考えてもなんで助かったのか不思議です。生き抜かなくちゃいけない中で、誰かに吐き出したくて日記にしました。