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    • 2012/12/30 14:36
    • 仏教は唯物論ではない2
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    • 最古層に近い資料において、仏陀はしばしば「真のバラモン」と呼ばれる。
      バラモンとはブラフミンであり、ブラフマンを語源として神の一部である事を意味する。

      「仏陀の直説と確定出来る資料が少ないことが、昨今の資料分析で判明してきた。
      直説と確定出来る資料のみから判断すると、釈迦は霊魂や神など信じていなかった」
      などと、マルクスに日和った仏教学者や仏教者は言うのだが、
      「真のバラモン」が、単なる無神論哲学者や唯物的道徳家を指すことなど、あり得ない。

      「慎み深く礼節を重んじ、如何なる生き物をも害さない思いを堅固に持つ者、彼はバラモンと呼ばれるに相応しい」
      これは当然、仏陀自身の事も含んでいる。
      仏教はバラモン教の世界観を、基本的に継承しているのである。


      仏教の中道とは、弁証法における止揚(合)である。
      断常の中道とは、無霊魂説とカースト制を両極端として否定した、止揚(合)である。

      中道とは、極端な見解に真理は無いということであり、両極の立場は、対立する様でいて似ているということでもある。

      特権階級としてのバラモンや唯物論者は、無常なる地位や肉体や金銭に、楽のみを感じている者である。
      真逆であるはずの両者は、何故か人生に対する態度は同じである。
      それらに対し、
      「無常なる物を100%楽だと感じているのは、間違いである。それは本質的には苦である」
      と教えるのは、苦楽の中道、断常の中道(合)に入らせる為のアンチテーゼ(反)である。

      最初から中道の見解を示しても、相手
      (常見や断見を信じる者)は、誤りに気づかない。
      大勢の誤りを指摘する者は、最初から中道の見解を打ち出さない。
      (故に、新宗教は成立の段階ではカルト的評価を与えられることにもなる)

      時代の改革者の発言は、その時代背景を考慮しなければ見誤るのだと思われる。

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