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- 2012/4/22 12:47
- 言霊を、言球として見つめる…
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「言霊(ことだま)を、言球(ことだま)として見つめる…」
それが現在の試みで、自分が発した言葉、相手が返した言葉、それらをボールに見立てて、その行方を何となく意識しながら生活をしています。
私の投じた言葉の球を、人がどう扱ってくれるのか?
人の投げた言葉の球に、私はどう対応しているのか?
もちろん趣味・志向・相性など、様々な要素が関わってくることですが、中核となる部分には、一定の性格が具わっています。
それを見つめていると、それぞれの〈人となり〉が浮き彫りになり、人気の多寡や人望の有無など、各人の〈人生の現在形〉について、(なるほど、これが原因か…)と、理解できたりするのです。
投げた球をしっかり見て、誠実に捕球しようとしてくれる人。
捕るには捕るけど、あさっての方向を見ながらの人。
キャッチボールのつもりなのに、いつもバットで打ち返す人。
そして、いくら投げても、グローブも出してくれぬ人。
それから、ボールを受け取った後、相手がいない方向へ自分本位に投げ返す人や、受け取るのは上手いけど、ちっとも返球しない人(実はこれ、私の悪しき性向です)等々、人の会話を傍で聞きながら、言葉のやり取りを観察するのも、大いに勉強になることです。
「自分はどうされたら嬉しい?」と自問し、「じゃあ自分はどうしてる?」と内省する。
言球の捕球術・投球術を、何歳になっても磨き続けること、それは、生涯学習の最重要テーマだと思います。
こんな環境に感謝
皆さん本当にありがとうございます!