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- 2018/5/12 16:28
- 私は本日、暇~っ!! 戦国武将大島雲八。
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- 現在唯一浸っているゲームのBP(バトルパイレーツ)での開催イベントが鬼強の為、満足に参戦出来ない状態です。
おかげで“暇ー”ということで、久々に日記を書きまーす。
『もう直ぐ誕生日か。んでもって、来年は還暦か。定年迎えたら仕事どうしようか?他の先輩達の様に、定年過ぎたら嘱託で後進の教育して、引継いだ後退職。趣味の新聞配達は続けるとしても、どっぷりと年金生活か。んー…。』
ふと驚いた。『私にもこんなことを考える時が来たんだ。』
確かに健康診断の都度“痩せ過ぎ”と忠告され続けてきた我が身なれど、ぽっこりお腹と成り果て、どっぷり老眼。新聞・雑誌の本文なんて余程関心の有るもの意外は追わなくなった。
老けたワー。が!! いやまて。
私の知る風雲仲間なんて大概はこの面でもお仲間!! (*´ー`)
…ということで、皆さんを勇気づける意味でも、
今回はメチャクチャ晩成の戦国武将をご紹介致します。
全国区級の知名度じゃないのが不思議なほど。
当地お隣は岐阜県関市の誇る武将、名は大嶋雲八(光義)。
弓の腕1つで信長・秀吉・家康と仕え続け、出陣した合戦の数はなんと生涯で53回を数える!!
簡単に記すと、最初は美濃国斎藤氏に仕え、織田軍と戦ったのが53歳のころ。
あまりに凄い弓の腕に、敵だった信長に召し抱えられた。
姉川の戦い、坂本の戦い、長篠の戦い(以上織田家家臣)。
賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵(豊臣家家臣)。
関ヶ原の戦い以降は織田家(←ここsakiさんの指摘で気が付いたー!! 当然徳川家の間違いです。申し訳ない。。。)の家臣となり、最後の出陣の記録が93歳での会津征伐だったらしい。
完全なる戦国レジェンド!!
どぉ?ビックリでしょ?
おかげで残る逸話も数多い。
関心がありましたらネットで上手に検索するか、
「九十三歳の関ケ原弓大将大島光義」近衛龍春著という時代小説(当然若干の創作を含みますがほぼ史実らしいですよ。)も出ておりますのでぜひご一読を。
さて、目がショボショボし始めたのでおしまいー。
雲八さんは90過ぎても目は達者だったんだろうなー。
ぽっこりお腹だったのかなー?
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