月詠 朔夜さんとモバ友になろう!
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- 2025/6/30 11:53
- 社会不適合の言い分
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- 人間は好きだけど社会は嫌い…というのはinfpあるあるなのではないだろうか?
私も人間自体は嫌いじゃない…むしろ好きなのだが、どうにも人が複数集まって社会を形成してしまうと苦手意識が出てしまう。
何故か?
役割と責任を押し付けられるからだ。
そもそも、社会とは何人から社会と言えるのかが曖昧だが、私は同じ空間に『二人』以上人間が存在すれば『勝手に』社会が作られてしまうと考えている。
最小単位の社会は『夫婦、もしくはカップル』であり、一般的には同じ空間に互いに好意を持った(熟年夫婦の場合は相手に好意を持っているかどうかは問わないが)男性と女性が存在していればそこに『自動的に』社会が形成される。
つまり、社会は人間が複数存在していれば『副次的に』形成されると言っても過言ではない。
私は社会の存在には極めて懐疑的であり、『人が集まった結果、勝手に出来てしまったものにどれほどの価値があるのだろうか?』『皆が重要視するほど価値のあるものなのだろうか?』と思ってしまう。
いや、むしろ私は社会に対して『評価に値するほどの価値など微塵もない』とすら思っている。
正に社会不適合者である。
何故、社会に価値などないと思うのか?
それは、そもそも社会が副次的に作られるものだし、社会で生きる為に役割を果たすことによって行動の選択肢が狭まり、それによって日常生活の自由度と幸福度が格段に下がり、生き辛くなるからだ。
つまり、社会での役割を果たすことによって普段当たり前に出来ていたことが出来なくなるから…とも言い換えられる。
では、そこまでして社会を存続させる価値はあるのだろうか?
自分の自由や楽しみを犠牲にしてまで役割や責任を果たしたり、社会を優先させる必要はあるのだろうか?
いや、ない!
断言出来る、絶対にないと!
社会のせいで人間が生き辛くなるならばそんな社会など粉微塵になるまでブチ壊してしまえばいいとすら思う。
『そもそも、自分が社会に合わせるっておかしくないか?
社会が私に合わせれば良いんじゃね?』
ぐらいの心持ちでいればかなり生き辛さは軽減される筈だ。
Infpはいつの世も生き辛いものだが、いつか必ず私が社会を完膚なきまでに壊し尽くすので、せめてそれまではどうか開き直って生きていって欲しい。
- 人間は好きだけど社会は嫌い…というのはinfpあるあるなのではないだろうか?