甘党ライダーさんとモバ友になろう!
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- 2013/3/11 13:45
- 私が考える「余裕」について…
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- 私は時々、尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。その刺激とは人間関係の類であったり、仕事であったり、その他諸々である。
それが(刺激が)激しくなると、晴天から来る日光の反射にさえ堪え難くなることがあった。そして余裕がなくなる。
人間は「余裕」というものが無くなると、他人に気を遣ったり、優しく振る舞うことが難しくなってくる。
それは、心持ちにゆとりがある平生なら、人に配慮をすることが比較的楽であるが、精神衛生が淀んでいる時には自分にしか意識がいかなくなり、他人の話に親身になって耳を傾けたり、その人の立場になって考えることが酷く億劫に感じてしまうからである。
私はこのような状態になると、休みの日にはなるべく世間との交渉を希薄にし、人に会わない工夫をする。また時には昼でも夜でも構わず寝る工夫をした。その手段には、部屋を暗くし、聞こえるか聞こえないか程の微量の音楽を流して、安らかに目を閉じる。
これが成功すると、私の精神は生まれ変わり、世間との連絡が前より楽に取れるのである。
人は余裕のない状態に人と接するから無意味な争いや、喧嘩、嫉妬、その他、人間関係で問題とされる様々な課題が往々にして起きてしまう。
余裕がなく頭に雑念が泡だっている時は、一度その泡を浄化してから人と接すると良い。
無理をして、笑顔を引きつらせてまで人に会う必要はないと私は考える。
- 私は時々、尋常な外界から法外に痛烈な刺激を受ける。その刺激とは人間関係の類であったり、仕事であったり、その他諸々である。