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- 2011/6/24 21:49
- 6月24日の芸能ニュース
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- 6月24日のニュース について:
- 久しぶりに書いてみる気になりました。あまりに腹が立ったからです。ボクは残念ながら「健常者」の反義語を知りません。知る必要がなかったから、かもしれません。外国にはableなる単語があります。反義語は単純にunableです。かつて障害者をこう呼称していたものを読んだ記憶があります。「できる」「できない」。和訳の壁に苦しみました。この記事が、ふとそんな昔の幼い義憤を思い出させてくれました。教室の中にいるある生徒の「存在」を多数決で「定義」するという乱暴さ。つまり他者の「存在意義」ですら民主的な手法であれば決定しうるという横暴。それを平然と「フイクショナルであるから」という逃げ場所を用意してから語る狡猾さ。作り手の無責任さに強い憤りを感じたのです。ボクは人権擁護派でも、「もし貴方の子供だったら云々」のたられば正論派でもありません。むしろ、そういう風に議論を矮小化することは悪であるとさえ思います。授業の妨害要素があるのなら、それを排除することも吝かではありません。ですから、このドラマで問題とされた「発達障害」の少年の帰趨は問題とはしません。強いていうならば、それは現場(=教師)の管理責任の範囲内だと考えています。それよりも、ボクたちは、考えることを放棄して、マンガやドラマに感情を依存しすぎてはいないか。もしそうならば、その作り手をボクらは深く知るべきだとも思います。しっかりとした問題提起がなされなければ、当然ながら議論は始まりません。しかしながら、マスメディアも作り手も、そして我々すらも、その議論から目を逸らし、感動的なエピソードにのみ反応している。そんな気がしてなりません。作り手の真のテーマを知り、深く考えること。文学の入口にある、その当たり前を取り戻さないかぎり、この種の横暴は消えません。そしてやがて、ボクらは、多数決で人の存在を決定せしめる恥ずかしい動物に成り下がってしまったことにも気付けなくなる。そんな恐怖感すら抱くのでした。