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    • 2011/4/16 20:36
    • 騎士団の壊滅③
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    • 1307年 10月13日 この日が金曜日だったため、以後「13日の金曜日 は不吉である」というジンクスが生まれたともいわれる。、フィリップ4世はフランス全土においてテンプル騎士団の会員を何の前触れもなく一斉に逮捕。異端的行為など100以上の不当な罪名をかぶせたうえ、罪を「自白」するまで拷問を行った。異端審問において立ち会った審問官はすべてフランス王の息のかかった高位聖職者たちで、特権を持ったテンプル騎士団に敵意を持つ人ばかりであった。騎士団は異端の汚名を着せられ、資産は聖ヨハネ騎士団へ移すこと、以後の活動を全面的に禁止することが決定された資産を聖ヨハネ騎士団に移すという決定はあくまでも表向きのもので、フランス国内のほとんどの資産は王の手に渡った。。
      さらに1312年 、教皇クレメンス5世はフィリップ4世の意をうけて開いたヴィエンヌ公会議 で正式にテンプル騎士団の禁止を決定、フランス以外の国においてもテンプル騎士団の禁止を通知したが、効果はなかった公会議そのものでも、フランス寄りの枢機卿以外はみなこの決定に激しく抗議したが、教皇の権威をたてに押し切った。。たとえばポルトガルでは国王が逮捕を拒否し、「キリスト騎士団」という名前での存続が認められた。カスティーリャ とアラゴン でもテンプル騎士団に対する弾圧は一切行われなかった。ドイツ とキプロス島では、裁判までは行われたが証拠不十分で無罪の判決が下された。また、教皇庁と対立していたロバート1世 の治めるスコットランド はそもそも教皇の決定など意に介していなかったので、同地でも騎士団は弾圧を免れた。
      資産の没収を終えると、フィリップ4世は口封じのために1314年 、投獄されていた4人の指導者たちの処刑を指示。ジャック・ド・モレーら最高指導者たちはシテ島 の刑場で生きたまま火あぶりにされた。

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