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- 2011/4/16 20:34
- 騎士団の壊滅
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- テンプル騎士団の破滅は突如として訪れた。13世紀の終わり、中央集権化をすすめていたフランス王フィリップ4世 (美男王)は財政面で幾度も騎士団の援助を受けていたにもかかわらず、自らの新しいアイデアに夢中になっていた。それは当時もっとも勢力のあった2つの騎士団、テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併し、自らがその指導者の座について聖地を再征服。その後、自分の子孫にその座を継承していくことで自らの一族が何世代にわたって全ヨーロッパにおよぶ強大な影響力を及ぼす、という夢であった。
しかし、現実にはフランスは慢性的な財政難にあえいでいた。フィリップ4世は腹心のギヨーム・ド・ノガレ の献策にしたがって、1296年 に教皇庁への献金を禁止し、通貨改鋳をおこなった。さらに1306年 にはフランス国内のユダヤ人をいっせいに逮捕、資産を没収した後に追放するという暴挙に出た。こうしてまとまった資産を手にしたフィリップ4世が次に目をつけたのが富裕なテンプル騎士団であった。
上記の説とは別に、当時のフランスはイギリスとの戦争によって多額の債務を抱え、テンプル騎士団が最大の債権者であった。そのため、フィリップ4世は債務の帳消しをはかってテンプル騎士団の壊滅と資産の没収(略奪)を計画したともいわれる。
- テンプル騎士団の破滅は突如として訪れた。13世紀の終わり、中央集権化をすすめていたフランス王フィリップ4世 (美男王)は財政面で幾度も騎士団の援助を受けていたにもかかわらず、自らの新しいアイデアに夢中になっていた。それは当時もっとも勢力のあった2つの騎士団、テンプル騎士団と聖ヨハネ騎士団を合併し、自らがその指導者の座について聖地を再征服。その後、自分の子孫にその座を継承していくことで自らの一族が何世代にわたって全ヨーロッパにおよぶ強大な影響力を及ぼす、という夢であった。