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- 2012/1/24 4:23
- 赤の女王仮説
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- "その場に留まるためには、全力で走り続けなくてはならない"
これは「不思議の国のアリス」の続編、「鏡の国のアリス」で赤の女王が発した台詞。
これを進化論に当てはめ、生存競争の中では周囲の環境変化と周辺生物の進化に合わせて絶えず進化を続ける必要がある、としたのが表題の仮説。
別に進化論を語りたい訳じゃなく、これはアップデートと言う環境変化とLvアップと言う進化を続けるネットゲームにも当てはまるなあ、と常々思う。
ひと時の間に割ける限りの時間を割き、可能な限りの金銭を掛け、全力で戦う事は多分難しい事ではない。
恐らくはその中で、少なからぬ数の勝利とささやかな報酬を手に入れる事が出来るだろう。それは例えば更なる進化の為のゲーム内コンテンツや称号、勝利の喜びと栄誉、ソーシャルゲームであれば団結によって生まれる連帯感と高揚。得られる報酬の数々はゲームのプレイヤーに取って魅力的な事には間違いない。
しかしながら、当たり前の事かもしれないけれど、ネットゲームに明確なゴールラインは存在しない。
オフラインで遊ぶ家庭用のゲームには倒すべき最後の敵や到達すべき目標があり、エンディングがある。進化は最低でもそこへの到達を可能とする地点までで良く、図鑑要素コンプリートやLvMAXなどパッケージ製品に定められた最終的な目標に到達すれば、プレイヤーは並ぶ者のない"最強"になる。ゲームはそこで終わりだ、周回プレイを続ける事も可能だけれど明確な区切りは確かに存在する。
競い合い、場合によっては打ち倒すべき他のプレイヤーが存在し、最終的な目標がアップデートにより日々更新され続けるネットゲームに終わりは存在しない。明確な区切りがなく、戦意を持った競争相手がいる限り戦いは果てもなく(サービス停止のその日まで)続く。全力で戦う事は簡単でも、全力で戦い続ける事は難しい。敵対する全てのプレイヤーと争い、勝利を競い続ける事はいつか必ず疲弊を招く。
戦いに疲れ倒れるのは、生存競争に置ける敗北を意味する。そう、生存競争なら、敗北は死を意味する。しかし、ネットゲームと生存競争はやはり決定的に違う。当たり前だ、ゲームに負けたとこで死にゃしない。互いの似た部分に目を取られ、躍起になる必要はない。
オフラインゲームと同じ完全勝利を求めてはいつか疲弊する。勝利でなく楽しみを目的に、無理なく続けたい…と言う話。
- "その場に留まるためには、全力で走り続けなくてはならない"