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- 2025/5/26 9:12
- 最終章 風の色 記憶の音
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ことはは、光の射す中庭に立っていた。
風が吹き抜け、木々がざわめくたびに、彼女の髪がやさしく揺れる。
その指先には、子どもたちから贈られた星の折り紙が握られていた。
色とりどりのその星には、ひまりの小さな字で書かれていた。
「おかあさん、またいっしょにおにごっこしようね。」
言葉を目で追っても、それがいつの記憶なのか、ことはには思い出せない。
それでも、その紙を握る手に、たしかなぬくもりを感じていた。
「ことは、今日は何色の服を着たい?」
看護師が笑いかける。
彼女は少し迷って、それから「うすい、あお」と言った。
それは偶然だったのかもしれない。
でもその色は、ひかるが昔よく言っていた――「空の色、ことはの色」だった。
夕方、面会に来たひかるは、ことはの姿を見て、少し驚いた。
なにも知らず、何も思い出さず、けれどどこか、懐かしい色を纏って微笑む彼女。
それは、まるで記憶の向こう側から、歩いて戻ってきたようだった。
「覚えてなくてもいいんだよ」
「…でもね、ひかるくん、って言ってみたくなるの」
「それだけで、十分だよ」
彼女の記憶は、戻らないかもしれない。
でも、その日々に意味がなかったわけではなかった。
ことはの中に、感覚だけでも残っていたのなら――
手をつなぐ温度、声のトーン、笑い方のくせ。
夜になり、静かに眠ることはの寝息を聞きながら、
ひかるはベッドサイドのノートを開いた。
そこには、日付とともに、小さな出来事が書き留められていた。
「ことは、今日は ‘光葉’ の名前を見て、眉をひそめていた。
…ひょっとして、覚えかけてるのかもしれない。」
「 ‘ひまり’ という音に、目が泳いだ。」
「 ‘星奈’ と呼びかけたら、ほんのすこし、涙をにじませた。」
記憶は戻らなくても、届いている。
言葉じゃないかたちで、きっと、ここにある。
ことはの寝息に合わせて、風鈴が小さく揺れた。
――風の音が、やさしく名前を呼んでいるように、ひかるには聞こえた。