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- 2025/5/26 9:07
- 第七章 記憶の残滓
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「ひかる…くん…?」
微かに名前が漏れた瞬間、彼の目に涙が浮かんだ。
ことはの声は、迷子のように頼りなかったけれど、確かにそこにあった。
冷たい病院の面会室。窓から差し込む春の光が、ことはの髪を照らしていた。
彼女は、目の前の男の名前を正確には思い出せていなかった。それでも、
ふとした拍子に口からこぼれたその一言が、
彼の中に灯火のような希望を点した。
「ぼくはね、ことはの一番古い記憶になりたかったんだ」
ひかるは笑った。あの頃のように、肩肘張らず、照れたような声で。
「でもさ、思い出さなくてもいい。いま、目の前にいてくれたらそれでいいから」
ことはは、静かに頷いた。
思い出そうとすると、まぶたの奥がきしむように痛んだ。
それでも、ひかるの声が優しく響くたび、心の奥に、
ほんの少しだけ揺れる色が戻ってくる気がした。
「あなたの声…嫌いじゃないかも」
ぽつりと呟いたその言葉は、ふたりだけの秘密みたいに、やわらかく空に溶けた。
その夜、ことはは久しぶりに夢を見た。
――ぼんやりとした白い部屋。
誰かが小さな手で、ことはの指を握っている。
「まま…まま…」
幼い声が繰り返し呼ぶ。
その声に応えようとしても、口が動かない。
名前を、呼びたい。思い出せない。
ごめんね、ごめんね。わたしは――
夢の中で、ことはは泣いていた。
その朝、目が覚めると、枕元に置かれていたのは、小さな折り紙の星。
それは、光葉、ひまり、星奈がいつも折っていたもの。
記憶の代わりに、子どもたちは日々、ことはに色を贈り続けていたのだった。
そして、ことはの手には、いつのまにか一通の手紙が握られていた。
差出人の名前はなかった。でも、封の裏には、子どもたちの筆跡でこう書かれていた。
「わたしを わすれないで」