ろでーむさんとモバ友になろう!
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- 2009/12/4 15:07
- 比較。
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- “どんな事でも、気を利かせて動いてくれる。”
“どんな時でも、気を遣って考えてくれる。”
…そんな人って、どう思う?
きっと誰しもが、そんな“気遣いの出来る人”でありたいと思っているだろう。
おぃら自身も、そうありたいと思っている。
しかし、自分ではごくごく普通に気を遣っているつもりでも、“その環境にいる・その環境にいた”人からみれば、感覚が違うのだろう。
「それが(で)、当たり前。」
「だから、自分は何もしなくても良い(かった)。」
今までは、それで良かったのかもしれない。
でも、その環境の“裏側にある忌まわしい現実”から抜け出すために、自分が変わろうとして動き始めたのに、動き出そうとする気持ちに応えて背中を押したつもりなのに、それをそんな簡単な言葉で比べられたら、言われた相手はどう向き合っていけばイイんだ?
“以前と同じモノ”を求めるのなら、今、向き合っている相手は必要ないだろう…
変化を求めて“ライン”を飛び越えた時、目線は同じ所ではなく、その相手にしかないモノを見つけるコトが大切じゃないだろうか?
自分自身の今までの“意識”を変えていかなきゃいけないんじゃないだろうか?
「以前は、あぁだったこぅだった。」
…と、比較して言うコトがどれだけ相手の“気持ち”を傷つけるコトになるのか?
今までと違う“場所”にいるんだから、今までと違う“やり方”になるのは当然だろう。
“気を遣って何から何までやってしまう”というのは、度が過ぎれば…相手を慢心させ、甘やかしてしまうコトになるのかもしれない…‥。
“気遣い”というものが“求めるモノ”になってしまったら、それは単なる“押し付け”でしかない。
- “どんな事でも、気を利かせて動いてくれる。”