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- 2013/10/24 0:07
- 合戦で初めて鉄砲を使ったのは尼子氏?2
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- この時、赤穴家臣で一族でもある吾郷武利(87歳。84歳だったとの説も)が80人ほどの若党を率いて出陣。この奮戦に大内軍も苦戦を強いられます。しかし、多勢に無勢。吾郷の軍は次々に死傷者を出し、武利の息子やついには武利自身も全身を負傷してしまいます。
武利は辞世の句を詠み家宝の弓を若党に託すと、腹を十文字に切りその生涯に幕を下ろしました。
夕方になって大手門が閉じられたので、この日で決着はつかない、いったん後方まで引き上げて休憩しようと思っていたものの、意外にもこの夜城方から降参してきたというのです。理由は、陶方が放った矢が城主の赤穴光清の喉元を射、城へ逃げ帰ったものの息絶えてしまったというのです。城主が死んでしまっては 戦えないということで、妻子の命を助けることを条件に 残った兵はこの夜のうちに月山富田城めざして落ち延びていきます。
最後に吾郷武利辞世の句を載せておきます。
弓を家宝とし、弓に長けた武将らしい句ですね。
多分ネット上で調べてもあまり情報の無い武将だと思います。
梓弓 八十字餘りに挽き詰めて 射ては帰らぬ道にこそ行け
八十余のこの年になるまで弓を引いて戦い続けてきたが、射た矢が戻ってこないように、二度と帰らぬ冥途の旅に出かけようぞ。
鈴木真哉『鉄砲と日本人』
HP サムライワールドより抜粋
参考 ニコニコ動画 尼子歴史シリーズ「ちゅうぎもの」
- この時、赤穴家臣で一族でもある吾郷武利(87歳。84歳だったとの説も)が80人ほどの若党を率いて出陣。この奮戦に大内軍も苦戦を強いられます。しかし、多勢に無勢。吾郷の軍は次々に死傷者を出し、武利の息子やついには武利自身も全身を負傷してしまいます。