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    • 2013/1/27 9:18
    • 孫文と日本
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    • 日本なくして中国の革命はなく、日本人や日本政府から支えられた多くの親日中国革命家が存在したからこそ中国は救われた…本当の意味で中国革命の土壌は日本であり、革命の種も日本人が蒔いたといっても過言ではなく。

      なかでも孫文ほど心情的・思想的・体質的に日本が好きで 日本を中国革命の基地とした人はいません。

      孫文が広州蜂起の失敗後、亡命先に求めたのが日本。
      当時の日本はアジア各国の独立運動で迫害され 亡命してきた革命家の集結地。朝鮮の金玉均、インドのラス・ビハリ・ボース、ベトナムのクオン・デ・ビルマのオン・サンや、フィリピンのリカルテなどが日本で活躍を続けていました。
      日本は中国だけでなくアジア近代革命の産室といえる

      国民党の青天白日旗のデザインについても 当時、黄興(孫文と共に辛亥革命を推進した活動家)らが 日の丸に似ているとの理由で反対しましたが 孫文は逆にそれゆえに押し通したとされてます。

      その孫文の日中連係によってアジアの興盛を目指す遠大な理想に惹かれ、日本人は政界・財界を問わず 多くの人たちが様々な形で孫文を支援しました。

      平山周・宮崎滔天・内田良平・頭山満・犬養毅・北一輝・梅屋庄吉・南方熊楠・萱野長知・清籐幸七朗・和田三朗・後藤新平・児玉源太郎・桂太郎・末永操・可児長一・山田純三朗・鈴木久兵衛・平岡幸太郎・菊地良一……
      中でも孫文の最も親しい友人で協力者とされるのは宮崎滔天。
      中国革命同盟会が 滔天や末永節らの支援で1905年7月、東京で組織されると、滔天、平岡周、萱野長知ら日本人も同盟会メンバーに名を連ねた。
      同年ヨーロッパから日本に戻った孫文と黄興を引き合わせ、同盟会の結成に貢献したのが宮崎滔天らです。

      孫文の理想、革命思想は「三民主義」「五権憲法」として花開きますが その出発点も日本です。
      孫文がその後 盛んに主張した「民主主義」思想は 日本の「平均地権」という主張から生まれています。
      「三民主義思想」が整った形で表現されたのは1905年、東京で中国革命同盟会が成立し、その機関誌「民報」が発刊されてから。
      日本人の積極的支援の下で孫文の理想は辛亥革命の成功で見事に結実します。
      しかしその後、清朝残滓勢力の袁世凱に大統領の座を譲らざるを得なくなり、再び日本に亡命。

      孫文の生涯を振り替えると実に1/3の時を日本で過ごし、中国革命が日本を実際の基板としたように 孫文個人の人物像も日本によって完成していったといえます。

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