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    • 2010/7/3 3:54
    • がつーんときたこと
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    • 常々何のために手本(古典)を観て字を書いているのか考えることがある。

      その答えとなる言葉があった。「墨」の記事より、書家、齋藤香坡から。



      「守破離」に尽きる


      「守」とは型や教えを堅く守って身につけること
      「破」とはそれらの型を離れ他の世界を観て心と技を発展させること
      「離」とは守、破を意識せずに独自の機軸をつくり、新しい境地へいくこと


      手本(古典)書き=臨書
      古典を学ぶことは自分の中にあるポケットを沢山つくることになる。これは多様な表現技法を習得することに行き着く。

      それは「守」である。これを疎かにすれば後の二つはついて来ない。書の世界では臨書があってこそ本当の自分の作品が生まれるのである。

      "本物"になるために、学ぶその鍛錬が出来てこそ一流の証ではないだろうか。ただ理屈だけ、口先だけで言うことは簡単だが、何よりも実行しなければ意味がない。


      書とはそういうものなのである。



      今、筆を執り左にある古典を書き上げる。

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