きよながさんとモバ友になろう!
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- 2011/7/20 23:41
- 一次帰宅2
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- 続いて問診表記入と帰宅に際しての諸注意、警察による空き巣に入られたら被害届けの出し方等説明がありました。
防護服の説明を聞きながら着ていきました。EPD(放射能を表面上どれだけ浴びたか計る携帯用の機械)を首にさげひとまず終了です。 説明会の印象としては、とにかく東京電力の制服を着た社員が深く頭を下げ、私達に対し腫れ物に触るような位の低姿勢でいたことでした。地震前の東京電力の制服はこの町で一番偉く、威厳と高圧を感じさせる一つのエリートのステータスを感じさせるものでしたが、今となっては負と静粛の象徴に感じてしまい、なんとも不思議な気持ちになりました。 マスコミが来ているかもしれないと思い周りをキョロキョロしましたが、外国人のカメラマン一人しか確認できませんでした。外国人から見た私達の姿はいったいどう写ったのでしょうか...
説明会も済み私達は指定された15号車に乗り込みました。20人も乗れば満杯の小さなマイクロバスです。 バスは私達10数名と案内者3名を乗せ、一路富岡町へ向けて進んで行きます。 途中、検問(20キロ圏内境界線)をバスは通過し、富岡町内へと入りました。当たり前ですが外は福島第一、第二発電所復興作業の作業員を乗せた車とすれ違うだけで、歩いている人も無く生活を感じさせないゴーストタウンとなっており、どういう感情なのか説明しにくいですが、暑い日にもかかわらず鳥肌がたってしまっていました。 私達が一番最初にバスを降りると告げられ二人で一気に緊張しました。
家はその後の余震で建て付け悪くなって玄関は開くのか?
空き巣に入られていないか?
冷蔵庫が開いたままで避難したから腐って虫とかどうか?
必要なものがあのぐちゃぐちゃな部屋でスムーズに見つかるのか?
70㎝四方のビニールに入りきれるのか?
様々な不安が頭の中を駆け巡りました。
やがてバスは、地震前に生活し、思いでの詰まったアパートの前で私達を下ろしました。
私の首には新たに、連絡用のトランシーバーと、2時間の目安にと、時計がぶら下がりました。
アパートとの前に佇む二人...落ちた瓦も、傾いた電柱も、ひびの入った外壁も...全てが時を止めたように...本当に全てが、あの地震の当日のままに...時を止めて私達を迎え入れていました。
- 続いて問診表記入と帰宅に際しての諸注意、警察による空き巣に入られたら被害届けの出し方等説明がありました。