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- 2011/3/15 14:25
- 帰還しました。
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- この経験を忘れないために日記にしようと思いました。
私の仕事は医療系です。
地震発生時には勤務中でした!
発生後ただちに大規模災害の対応をとりました。
自分は気ままな独身だからよいものの、奥さんや子供のいる人は辛そうでした。自分の家族の安否確認をかえりみず行動しなければならないのは、この職業の因果なんだと思いました。
情報収集するも災害の全体像は全くつかめず、ただ不安を抱えたまま時間だけが過ぎていく。
すると現地への派遣要請が入りました。家族を持った人を行かせる訳にはいかないため、自分が行く事になりました。
準備を済ませ、召集場所に集まりマイクロバスで出発しましたが、出発してすぐに自分が行く現場の恐ろしさがわかりました!
高速道路に車が全く無いんですよ!関越道、東北道全てが現地に派遣される車以外走っていない超異様な光景でした。
現地に到着し、自分達は宮城県の壊滅的被害を受けた場所から離れた某所で夜営をしながら活動しました!
しかし、ひたすら続く余震にはヒヤヒヤさせられました。
壊滅的被害を受けた被災地から自衛隊ヘリに乗せられてきた負傷者や病人を処置し、振り分けて機能している病院へピストンで送り出すというものです。
まともな検査機器や機材が無い中の活動には神経をすり減らされました。
あとは救護所での被災者のすすり泣く声はこたえました。
「妻の手を取り高台まで引き上げようとしたが、津波の強さに手を離してしまった。振り返ったら妻はもういなかった。」
「産まれたばかりの子供を寝かしつけて買い物に出ていた。一晩明けて家を見に行ったら家が無かった。」
救護所ではこんな会話ばかりが聞こえてきます。
「大丈夫!!絶対に生きているよ!」
なんて、口が裂けても言えない。死亡してしまっているのはほぼ確実なんだから…
励ましてあげたいが、かけられる言葉が無い!
そう思いながらもやれることだけはしようと気力を振り絞りました。
今は帰りのバスの中です。
達成感より何も出来なかったんだという虚無感の方が強いのが今の本音です!
とにかく誰かに話して楽になりたいという自分の醜い心から書かないつもりのことも長々と書いてしまいました。
軽蔑されたかもしれませんね…
最後に…私の携帯は衛星回線なので使えました。
家族、親友、モバ友の励ましのメッセージを見て、勇気づけられました!
本当に感謝しています。本当にありがとうございました!
- この経験を忘れないために日記にしようと思いました。