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    • 2012/8/15 21:59
    • 815企画 北海の野辺に砕けた珠
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    • 去年の8月15日にはたしか山下奉文大将の事を紹介したかな。
      この特別な日にあえて戦争の歴史に思いを致す自分なりの意義は去年語ったとして、
      今年は初めて「玉砕」の言葉が使用された「アッツ島の戦い」を指揮した
      山崎保代大佐(戦死後中将に特進)のお話。

      玉砕…もともとは中国の歴史書「北斉書」に出てくる言葉で、「大丈夫たる者、瓦となって生を全うするより珠玉のまま砕けて名誉を保つものだ」という意味合いで、「瓦全玉砕」と対義する一対の言葉である。

      もちろん「玉砕」よりも「瓦全」を良しとする考えもあり、沖縄でさかんに言われる「命(ぬち)どぅ宝」なる言葉はまさに瓦全上等の思想であるが、どちらが正しいのか、というのは問題ではない。
      確実に言えるのは、自分であれば確実に「瓦全」の生き方を選択するだろうが、だからこそ「玉砕」の散り際に(あくまでも文学的な、だが)美しさを感じてしまうのである。
      日本人にも馴染みの深い「三国志演義」を例にとれば、関羽に始まり陳宮、審配、張任、ホウ徳。これらは皆生命より名誉を重んじ降伏を拒んで戮を受けた者たちだ。
      古今の読者は彼らの死に悲壮なまでの美を感じとり、感涙を流した。

      それが近世の戦争になると玉砕とは無駄死に、犬死に、愚劣なものと思考停止してしまう。
      彼らの死を無駄と考える、それ自体がその死を無駄な物にしてしまう元凶と明記せよ。
      先の戦争で散った軍人も非戦闘員も、全ての「死」の意味を感じる事こそのみ、その死に意義を見いだせるのである。


      ああ、長くなりそうなので一旦切ります。山崎中将のお話を打ってる間にこの序文を読んでておくれ(;´д`)



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