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- 2012/5/16 23:19
- 第17回「戦国妖怪譚第参幕」
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- 立花道雪
※イベント上位500名報酬
生没年:1513年-1585年
@父は鎧岳城主戸次親家。父母共に早世したため戸次氏の家督を相続し、大友義鑑に仕えた。1553年異母弟鑑方の子鎮連を養子に迎え、戸次氏の家督を譲って隠居したが、その後も肥後の菊池義武を滅亡させるなど活躍した。また、筑前侵攻を企図する毛利氏との抗争を繰り返し毛利元就とも戦を演じている。1562年剃髪し、麟伯軒道雪と号する。その後も毛利元就、吉川元春、小早川隆景と立花山城の争奪戦で激戦を繰り広げる。筑後が安定したことをうけ、1571年立花氏の名跡を継承し立花山城主となった。間もなくして道雪は愛娘のギン千代に家督を譲り、立花山城主としている。高橋紹運の子統虎を婿養子に迎え、家督を譲っている。1578年宗麟は島津氏討伐を企図し始める。道雪はこの方針に反対していたが、宗麟は日向侵攻を強行するが耳川の戦いで大敗し、多くの重臣を失った。島津方の圧力が強まる中、筑後を守るべく戦っていたが、1585年筑後国猫尾城など筑後諸城を攻落したあと、柳川城攻めの最中に高良山の陣中にて病を得病死。道雪は若い頃に落雷を受けて半身不随になり、以後輿の上で指揮をとっていたとされる。また、落雷を受けた際に雷の中にいた雷神を斬っており、この時に雷神を斬った刀「千鳥」を「雷切」と改名し、傍らに置いていたとされる。しかし、秋月氏との合戦では「自ら太刀を振るい、武者7人を斬り倒した」という記録もあり、この年代の資料にも輿に乗っていたという記述は無い為、「若い頃に落雷によって下半身不随になった」というのは創作ではないかとも言われ、真偽はわかっていない。
-----------------------------成長率等
攻 撃[7]
防 御[5]
兵 数[60]
部隊化率[7.2]
必殺強度[A]
必殺技名[雷迎閃・千鳥]
初期設定
LV[上位6武将平均]
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- 立花道雪