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    • 2011/2/8 1:44
    • 最期のコミュニケーション
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    • 人はいろんな死に方をする。
      病院で家族に死ぬな死ぬなと本人の苦しみとは別な気持ちを抱きながら逝く人。できるだけ自然な形でと、本人家族共に看取られながら逝く人…。例を出したらきりがない。
      私はどんな死に方をしたいのだろう。介護士の仕事をしていると、できるだけ自然に…家族に看取られながら自分の家で死にたいと考えてしまう。
      考えてみると、それは自分自身のエゴではないかと思う。私の家族はどんな気持ちで私の最期をみるのだろう。
      たとえ私の意志を尊重した結果の死だとしても、状況によっては残された者にとっては非難の対象になってしまう。
      若いうちに死に直面した場合を考えると非難の状況としては理解しやすいと思う。
      人が死ぬことに対して、赤ん坊や老衰などで感じ方が違うことに人の悲しさを感じてしまう。
      同じ死というものに対して何故人は違う価値を感じてしまうのだろう。
      今、目の前に最期を迎えようとしている家族がいる。
      あなたは何をしますか?
      本人が安楽死を求めていたら…。私はすぐに答えはでません。本人の意志が安楽死だとしても…。
      私の気持ちはあと10秒でも生きてほしい…、と私の気持ちをぶつけるかもしれません。たとえそれが苦しんで死にゆく最愛の人だとしても…。
      人はコミュニケーションをとることで成長したり堕落したり喜怒哀楽を得る。
      私の最期はどんなコミュニケーションをとるのだろう…

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