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- 2013/3/12 0:15
- 東日本大震災前後のメール
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- 津波2分前、最後のメール…亡き妻の携帯
2年ぶり家族の元へ
■津波直前「大丈夫?私たちは避難中」
一昨年3月11日の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市の復興現場から1台の携帯電話が見つかった。
持ち主は津波の犠牲になった同市職員、福田晃子(こうこ)さん=当時(54)。
大量の海水をかぶったはずの携帯電話は電源が入り、そこには当日のメールが残されていた。
「私は大丈夫、まだ揺れている」「大丈夫? 私たちは公園に避難中」。
震災から2年近い時間を経て家族の元に戻った遺品は多くのものを語りかけた。
◆電源が入った
福田さんの携帯電話は陸前高田市民会館の解体現場にあった。
今月15日、作業員が1階部分で見つけたと記者に手渡したものだ。
壊滅的被害を受けた同市中心部では、市役所や体育館などの解体作業が今も続いている。
市指定の避難先だった市民会館には大津波が襲い、多くの死傷者を出した。
作業現場では、今もカメラや腕時計などが見つかっている。
晃子さんの携帯電話もその一つだった。
持ち主が分かれば、と電源コードをつないだ。
多分だめだろう、という記者の予想と異なり、電源が入った。
通話履歴にあった「自宅」に電話すると、母、金沢雅子さん(78)が応対に出た。
「晃子は津波で亡くなりました。
私の娘で『こうこ』と読みます」
解体現場で預かった携帯電話を届けるため、その日のうちに晃子さん宅を訪れた。
市中心から約8キロ東の海岸部。
津波被害は受けなかったという。
晃子さんは被災当時、市福祉課の課長代理をしていた。
父の金沢善郎さん(82)によると、がん治療のため盛岡で入院していた晃子さんは3月9日に退院、自宅に戻った。
雅子さんは出勤を控えるよう勧めたが「仕事がたまっているから」と仕事に復帰したのは震災前日の10日だった。
3月11日午後2時46分。
同市を震度6弱の揺れが襲ったとき、自宅には両親と次女の福田有里さん(24)がいた。
夫の利喜さん(54)はまもなく帰宅。
長男、陽介さん(28)は盛岡、長女、由貴さん(26)は東京で無事が確認された。
勤めに出ていた晃子さんの安否だけ分からなかった。
↓に続く
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