miyaさんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2011/9/18 1:10
- 写真ってさ
-
- コメント(2)
- 閲覧(30)
-
-
- 最近、写真の一枚に対する迫力とか薄れがちだよね。
誰もが一眼レフなどいいカメラを入手できて且つカメラ任せに簡単にいい写真が撮れる昨今、本当にいい写真ってなかなか無いんじゃないかな。
なんでこんな写真がいいんだとか頭を傾げてしまう様なもの。
稚拙な写真でプロとか言って高級カメラ持って、それに振り回されてる様な若輩者。まぁコネとコミュニケーション能力だけは認めますが。
写真、カメラを好きで居る形は人それぞれあるから其処に干渉はしない。
しかし、明らかに質より量が更に溢れるのは必然ではあるがどうも戴けない。
いい写真が撮れたから満足して其処で終わっては駄目だと思うんだよね。
何処まで走るか。なんだろうけど。
型にハマった写真をいい写真としか見れないのも可哀想。
ノイズが少ない方がいい?
被写体や手ぶれはない方がいい?
構図がどうのこうの…
確かに基礎は大事かもしれない。
だけどそんなのだけで決していい写真は撮れない。いい写真として見せられない。
大事なイメージの具現化とプレゼン能力だと思う。
写真を見せる為には昨今ではプレゼン能力が大事だと今月発売した雑誌PENに書いてあった。確かにそうだと思った。一年くらいの疑問はそこにあった。解っては居たけど明確に突き刺さる回答だった。
インプットだけでは駄目。それはあくまでもインスタントの回収であり、まだ完成された写真ではない。
手を加えたり中には必要ないものもあるだろうがそうすることでインプットとアウトプットの中間に立てる。
僕はいつも其処で止まってた。
しかしアウトプットまで持ってくのなら
そのプレゼン内容によってはその手の加え方も変わる。
適材適所と言う言葉があるようにそれに則したもので無くてはならない。
それらを完成させる事で初めて見せる為の写真と言える存在になるのだろうと思った。
モバゲーなら詩を載せて撮るのは大いに結構。ただしそれに見合った写真でないと写真が文章に追いつかない。
写真の物語は後付けから来るものか。構想の中の練られた一枚か。只何も考えずにいいと思って撮った記録なだけか。
なんか人の写真見てると色々考えさせられますね。
ほんの少し被写体と向き合うだけでもう少しいい写真が撮れるのに。
- 最近、写真の一枚に対する迫力とか薄れがちだよね。