かずやさんとモバ友になろう!
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- 2012/9/17 20:21
- 大人の事情
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- 大人にはなれた。 だけど自分のなりたかった大人にはなれただろうか?
って文章を見ました。 なんか、それがここ最近頭から離れません
時代が移り変わるにつれ、そして人が子供から大人へ成長していくにつれ、消えて無くなっていくものって何だろうって思いました。
必要が無いから消えていくのでしょうか?
時代が必要としなくなったものが淘汰されていく、それと同じように大人になる為に必要無くなるものや想いや理想やらも淘汰されて、逆に大人になる為に必要なものを吸収していく。
人間のキャパシティーの問題なんでしょうかね? 心の容量があって、どんどんと吸収していくと、古い物が忘れ去られていく。
目の輝きなのかな。
子供が目を輝かせてくれる大人に自分はなっているのだろうかって考えます。
それは、スーパーヒーローの様な存在ではなくて、でも、スーパーヒーローの様な心を持った何かで。
もしね、5歳の僕と話をして、 「ねえ、あなたは今幸せなの? ボクはなりたかった大人になれたの?」 って聞かれたら何と答えるだろう。 答えられるんだろうか。
きっと曖昧なんだろうなって思う。
「うん、そこそこ幸せだよ。」 「だいたいなりたい大人になったよ」 とかってね。
んで、5歳の僕は聞くわけですよ。
「そこそこってなに? だいたいってなに? 大人の僕はそんな曖昧でいい加減なもんなの?」 って。
「うるさい! 5歳のガキに何がわかるんだ」 としか言い返せなくて。
大人なんてこんなもんだよ。 って自分に言い聞かせる。
そもそも、そう思う事自体が大人になるって事なのかな。
妥協をする。 白か黒かじゃ疲れてきちゃうから、混ぜてグレーにしちゃおうぜってね。 涙を流しながら色を混ぜてる。
ぐだぐだと言い訳がましい事を言って無理やり納得しようとする自分にまた5歳の自分が話しかけてくるんですよ。
やりたい事やってるの?
したかった事してるの?
自信を持って、ボクに今のボクはやりたい事をやりたいようにやってるよって言えるの?
私は5歳の自分に言いました。
「ふん、なに偉そうな事いってんだよガキが」
5歳の自分は言いました。
「じゃあ、今のボクは何になりたいの? 何がしたいの?」
その言葉にはっとさせられた。
今の自分は何がしたいんだろう。
そして、考えた今のボクは、5歳のボクに叫んだ。
全寮制の女子校の先生になりたい
- 大人にはなれた。 だけど自分のなりたかった大人にはなれただろうか?