ぷちさんとモバ友になろう!
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- 2014/3/11 1:53
- あれから3年
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- もう3年が経った、
忘れないあの日の事
3月10日気仙沼にいて、お客さんと話してたら
地震が来た、10分くらいしてから
警察や消防が津波に注意と警告してた
お客さんは、ここまで来ないし大丈夫って
その後気仙沼から陸前高田に行った
海沿いの素敵な町
次の日宮古の田老で、お客さんと同行予定で
このまま沿岸を移動する予定だった
宮古のお客さんの都合でキャンセルになった
仕方ないから、盛岡に泊まった
3月11日
忘れない
盛岡から内陸を移動して仙台に向けて
移動してた、
ガソリンが全くなかったから
入れて、1分後、最初はパンクしたと思った
周りの店から、悲鳴と共に
皆逃げたして来た、地震だ
今まで経験した事が無い揺れ
正直わからない状態だった
近くのビルの壁が落ちて来た
家のガラスも割れてた
信号が消えて、高速も通行止め
仙台に帰れない、
家族にも全く連絡出来なかった、
いつも高速なら、二時間で帰れたのが
13時間掛かった、
家の方は、酷く壊れた、半壊だった
海沿いから遠くないところだったから
海沿いの石油施設の爆発や炎が見えた
津波があんなところまでくるなんて、
ラジオやTVで各地の状況が伝えられた
信じられなかった、
昨日までいた、気仙沼が津波にのまれ
火の海になっていた
陸前高田の町は、消えていた、
同行予定の宮古の田老も何もなくなってた
数日知り合いが連絡取れなく
東松島まで探しに行った
知り合いは女性で小学生の女の子と二人暮らし
東松島の東名まで行ったけど、
地獄のような風景だった、
消息の絶った仙石線の列車が
ぐちゃぐちゃになっていた、
途中まで水が引いて無くて行けなかった、
結局その日は、見つからなかった
避難所の名簿
死亡者リスト、身元不明リスト
凄い数のリストを見て探した
2ヶ月後、見つかった、
お母さんと娘は
お互いに近くにいた、
津波にやられたけど、
一緒にいたのかなと思った
小さな命まで、奪って行った、
あれから3年
失ったものは大きい
失ったものが
けして戻って来るもんじゃない
残った私達が
けして忘れない様にしなければいけない
あれから3年
沿岸付近は
それほど
復興はしてない
早く
被災した方々が
1日でも安心し
幸せな毎日を
送れる様に願いたい
そして
被災して
亡くなられた方々の
御冥福を
心から
御祈り致します。
- もう3年が経った、