プリン☆さんとモバ友になろう!
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- 2011/4/24 6:57
- 記憶②
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- 高台にある民家の前に来てどのくらい経ったか。私はただ飲み込まれる美しい町をただ見ていることしか出来なかった。
それと同時に家族・親類・彼氏の安否が気になり始めた…
余震の回数が減り、津波が収まったため、子どもたちを連れ保育園に戻った。
日も傾き始めていて薄暗いため、町の様子は全く分からないまま少ない食料を園児22名と職員13名で分け、余震に震えながら夜を明かした。
2011年 3月12日(土)
朝になり、保育園から町を見下ろすと、ドコに何があるのかさえ分からない、生きた心地のしない状況が見えてくる。
今すぐにでも家族の元に…と思う気持ちと、保育士として子どもの命を守らなくては…という気持ちが弱りきった心をグシャグシャにかき回していた。
聞く話によると私の住む町の半分が火事。避難所としている山にも火の粉が飛んでいると言う話。
砕けてなくなりそうな気持ちの中、余震の度に子どもを背負い逃げる準備をした。
緊急事態を分かってか、子どもたちは泣いたりすることは少なかった。
ライフライン全てが使えなくなり、水を飲むこともテレビで情報を得ることも出来ず、理事長から伝えられる町内の状況しか知らなかった。
一晩を保育園で過ごした子たちの迎えも来始め、残った子どもは5名ほど。
小さな発電機を起こし、ご飯を炊いた。
夜には、ロウソクを灯し過ごした。眠りに付く前に理事長から、「明日の朝家族の安否確認に行っても良い。ただし、身の危険を感じる様なところには行かないこと」と話があった。
- 高台にある民家の前に来てどのくらい経ったか。私はただ飲み込まれる美しい町をただ見ていることしか出来なかった。