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- 2011/10/22 20:02
- 三教指帰 序文
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- 文章をしたためようとおもうのにはかならず理由がある。天が朗かき晴れ渡っているとあらゆる現象が手にとるようにわかるように、人は心を動かされると筆をとる。
(フクギ)が書かせた八掛(はっけ)や老子の書物、周の時代の詩や楚(そ)人の文を集めた書物などの個展もみな感動を紙に書きつづったものである。凡夫と聖者とは違うし昔と今では時代も違うというが、みな心が感動に震えたそのおもいを書き写しているのである。 どうして私が思っていることをいわないでいられようか。私は15歳のとき母方の伯父で伊予親王の学士、阿刀大足について学んだ。18歳で大学にはいり家が貧しく月の明かりや蛍の光で本を照らして学問に励んだという古人を見習い勉学に励んだ。それても怠けそうになる時は梁に縄をかけて首をつるし睡魔と戦いながら勉強した古人のことをおもい自らの怠慢さを叱ったものである。ある時私は一人の僧に出会った。彼は私に虚空蔵求聞持法という密教の秘法を教えてくれた。その経典には「もし人が求聞持法の定めた作法にしたがって虚空蔵菩薩のノウボウ アキャシャ キャラバヤ オン アリキャ アリボリソワカという陀羅尼を百万回となえるならばあらゆる種類の経典の教えを理解することができ暗唱することさえ可能である」と書いてあるという。私は仏陀の言葉を信じた。木の錐(きり)で火をおこそうとするときひとときでも手を休めてしまえば火は起きないように、私はひとときも休むことなく仏の道を求めた。阿波国の太(リュウ)ヶ嶽によじ登り、土佐の国の室戸岬で修行に励んだ。私の真剣な姿に谷はこだまをかえし虚空蔵求聞持菩薩の化身である明星が姿を現した。私は朝廷において名誉を競いあうことや社会で利をむさぼりあうことが意味のないようにおもえ、靄(もや)がたなびく洞窟や水のない沢の静寂を求めるようになった。軽い衣をなびかせた姿や必要以上に肥った馬に象徴される贅沢な暮らしぶりを目にすると稲妻のごとく幻のように消えてゆく人生の儚さをなぜ知らないのかと思ってしまう。体の具合の悪い人やボロ布をはぎあわせたような服装の人に出会うとどのような理由でそうなったのかと思い哀しみがとまらない。このように私が目にする全てのものが私に出家をすすめる。だれも風をつなぎとめることができないように誰が私の出家をつなぎとめることができようか。ところが伯父の阿刀大足や見識をもった人たちが
- 文章をしたためようとおもうのにはかならず理由がある。天が朗かき晴れ渡っているとあらゆる現象が手にとるようにわかるように、人は心を動かされると筆をとる。