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- 2011/6/9 18:36
- ロナウド引退
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- 8日、サンパウロでブラジルvsルーマニアの国際親善試合が行われ、2月に現役引退を発表した“フェノメノ(怪物)”ロナウドが30分から前半終了までの15分間出場。ハーフタイムのセレモニーをもって、偉大なるキャリアに幕を閉じた。
17歳でブラジルのクルゼイロからオランダのPSVへ移籍。以来バルセロナ、インテル、レアル・マドリー、ミランといった欧州のビッグクラブで驚くべきゴールを挙げ続け、監督に「戦術はロナウド」とさえ言わしめた怪物ロナウド。晩年は両膝の怪我や甲状腺機能低下に悩まされ、スピード不足を経験で補ってプレーを続けたものの、2011年2月に母国のクラブ・コリンチャンスで現役を引退した。
18年の現役生活を終えたロナウドは、クラブシーンだけではなく代表でもブラジルサッカー史上最も偉大なストライカーの1人と言える業績を残した。彼はFIFA最優秀選手賞を3度。W杯4大会に出場し2回優勝し、通算15ゴールの記録は歴代最多得点としてさん然と輝いている。
カナリア色のユニフォームを着て104試合に出場し、67ゴール。これはペレの97ゴールに次ぐブラジル歴代2位の記録。10代で臨んだ1994年W杯米国大会で優勝を経験したロナウドは、4年後のフランス大会でエースとして活躍しMVPを獲得。しかしフランスとの決勝前日にナゾの発作に襲われ、準優勝に終わる。
右ひざのじん帯断裂から回復した2002年日韓大会では得点王を手に入れ、ブラジルを5度目の世界王者へ導いた。ロナウドの代表公式戦最後の舞台となったのが2006年ドイツ大会。カルテット・マジコ(魔法の4人)と評されたアタッカーを擁するブラジルだったが、準々決勝でジダン率いるフランスに負け、ひとつの時代は終わる。
この試合に駆けつけたのは一般のサポーターだけではない。スタンドにはバルセロナのサンドロ・ロセイ会長や代表のチームメイトだったカフー、リカルド・ローシャなどが姿を見せ、ロナウドに声援を送っていた。
35分、40分、43分と3度のゴールチャンスを迎えたロナウドだったが、引退表明時よりさらに太めの体では決めることが出来なかった。これらのチャンスに絡んだのが初めてコンビを組んだ19歳の新星ネイマール(サントス)。引退後マネジメント業に携わるロナウドは、このネイマールを顧客として抱え、自ら後継者として欧州に売り込む予定だ。
前半を終えると両チームのプレイヤーはピッチサイドに並びロナウドに拍手。ブラジル国旗をバックにロナウドがスピーチした。
ファンはロッカールームへ戻るロナウドの名を何度も何度も叫んだ。スタジアムにはこんな弾幕もあった。
“ブラジルはロナウドに感謝します”“真のロナウドは1人だけだ”
- 8日、サンパウロでブラジルvsルーマニアの国際親善試合が行われ、2月に現役引退を発表した“フェノメノ(怪物)”ロナウドが30分から前半終了までの15分間出場。ハーフタイムのセレモニーをもって、偉大なるキャリアに幕を閉じた。