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- 2010/11/22 2:14
- 【周瑜暗殺説】
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最近GREEの三國志のゲームにハマリ、ふっと思い出したおもしろい話があります。
あ、三國志興味ない人にはここから先、全然おもしろくないですよ(笑)
さてその話とは、それはあの周瑜が孫権に暗殺されたかも知れないとゆー説です。
それを語る上でまず周瑜像を正す必要があります。
それは三國志演義と正史の違いから。
簡単に言えば三國志演義とは基本的に俺たちが知ってる三國志で、これは史実を元に『作られた物語』。
三國志正史は人物毎に整理された史実。
演義での周瑜は諸葛亮に弄ばれ対抗意識を燃やすも、それ叶わず悶死するとゆー情けないキャラ。
実際は総指揮を握った戦では全戦全勝、引き分けもなし。
容姿端麗で頭も切れ、上司部下の信頼も厚く、忠義を貫く。
おまけに家柄もよく音楽まで精通。
当然諸葛亮なんてアウトオブ眼中。
まぁ男から見たらだいっ嫌いなタイプ(笑)
早い話、演義で周瑜はこれから始まるゴッド諸葛亮モードの噛ませ犬にされたって事。
ここからの話は、情けない周瑜ではなく、あの曹操も劉備も恐れさせた本当の周瑜とゆー目線でご覧ください。
さて、その周瑜が行おうとした天下二分計を知ってますか?
赤壁後ケイ州を手中にしたところから始まる。
劉ショウと張魯の抗争を分析した周瑜は、まず皇族である劉備に帝に相応しい宮殿や女、宝を与えよと言っている。
これは家柄が悪い孫家最大の弱点を補い、曹操攻めの大義名分を作るため。
そして益州の劉ショウを攻め漢中の張魯も倒し馬超と同盟を結び多方面(馬超、益州、ケイ州、楊州)から曹操を攻めるとゆー策。
これが行われる前に周瑜は死に計画倒れに終わる訳だが、まぁほぼ100%成功していただろう。
理由は簡単。
劉備が行った成都直撃と同じ策をしようとしていて、その劉備らより遥かに勝る戦力に率いるのはあの周瑜。
なんなら劉備に益州攻略を進言したホウ統はこの時周瑜の元で働いている。
もっと言えば劉備を名目上国のトップに据えてるわけなので、孟達や法正らの帰順も歴史通りあっただろうし。
この事柄を踏まえ、いよいよ行きます。『リンク:【周瑜暗殺説2】』