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- 2010/11/22 2:10
- 【周瑜暗殺説3】
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ちなみに、周瑜の死因はケイ州攻略時に受けた矢傷。
今でゆー破傷風。
破傷風の発症は約1ヵ月以内らしい。
それを考えたら発症が極端に遅すぎないか?
当時、暗殺時使われた死因の多くは、病死。
破傷風で死ぬ周瑜は、死の間際まであちこち元気に動き回っている。
この死の時まで周瑜と行動を共にしていたのは、諸葛亮と同門で仲良しの、ホウ統。
周瑜の死後すぐホウ統は劉備側に寝返っている。
周瑜の遺言で自分の代役は、なぜかことごとく反対意見を述べていた魯粛になっている。
捏造?
周瑜を始め呂蒙にしろ、陸遜に到るまでの大仕事をした呉の武将はすぐに謎の死を遂げている。
(これは孫権の黒い噂説引用)
慕っていたはずの周瑜の死後、なぜか孫権に冷遇され続ける周瑜の一族。
すらすらっと簡単に説明してきたが、これだけでも充分に信憑性はあるんではないだろーか?
とまーそーゆー話です
なんかうまく書けませんでしたが、この暗殺説は何通りかあり、孫権単独犯説。実行犯劉備説。などなど…
今回のこれはホウ統説です。
ただ、この話はあくまでなんの証拠もない仮説です。
だから…
信じる、信じないかは、あなた次第です。