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- 2017/1/9 16:20
- 母の旅立ち
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- 去年の28日に母が安らかな眠りにつきました。82歳でした。 去年12月頃から体調が良くなく食べれなくなり、老人保健施設から電話があり、血液検査の結果か悪く、病院の方に診察に行く事になりました。老人保健施設の先生から直接相生山病院に言って先生の話しを聞きましたが、看取りの話しになりました。病院か施設かの話しでしたが、母の希望で施設にもどり、ひとまずいひと安心回復すると思ってました。が次の日先生からまた呼び止められて、足の脈が取れなく、左足指先が紫色に 爛れてました。そこまでなってるなんて知らなかったです。介護しさんがお風呂に入れてるのにわからなかったのかなぁ
入った頃は、擦りむいただけでも、連絡ありましたが、最近は、擦りむいても何も連絡は、有りません。 もう一度相生山病院に診察に行きました。そしたら、先生から凄い脱水症状で良くここまでほっておいたか
便めお腹で固まって、それでは、ご飯も食べれなくなるのも辺り前、点滴を入れて様子を見ます。と言われたけど、心臓も腎臓も弱っていて、何時まで持ちこたえるか
それが良くなっても、左足先が壊死して来て手遅れ、若い人なら切断して防げるけど、それも無理です。と言われました。 感染症で亡くなるか
心不全で亡くなる。どちらも悪い状態 今年いっぱい持たないかも知れないと先生の厳しい(≧ω≦)顔でした。最後まで最善尽くします。と先生は、言ってくれたけど、延命治療しないと話しておきました。食べれなくなったら、遺漏もしないと言う事でお願いしました。82歳で自然に楽に行けたら良いと思ってました。 点滴が入ったせいかだいぶ楽になりました。食事も食べれるようになり、身体も楽になったと、母も喜んでいました。お腹もすくようになり、話しも良く出来て、施設とは、ちがって、看護師さんは、良くやって暮れるから感謝してました。何時も有り難う!って言ってにこやかな顔が今も目に浮かんで来ます。老人保健施設にいた頃の顔とは、全く違う顔でした。難しい顔ばかりしてた母が、違う人のように、にこやかな顔に、嫌な気持ちがなくなったんですね。病院では、三週間の短い時間でしたが、楽しく過ごせたから良かったと思います。クリスマスぐらいから、脈拍が乱れるようになり、少し息苦しさが見られるようになってきたので、鼻から酸素を入れて貰い、モニターが着くようになりました。続く
- 去年の28日に母が安らかな眠りにつきました。82歳でした。 去年12月頃から体調が良くなく食べれなくなり、老人保健施設から電話があり、血液検査の結果か悪く、病院の方に診察に行く事になりました。老人保健施設の先生から直接相生山病院に言って先生の話しを聞きましたが、看取りの話しになりました。病院か施設かの話しでしたが、母の希望で施設にもどり、ひとまずいひと安心回復すると思ってました。が次の日先生からまた呼び止められて、足の脈が取れなく、左足指先が紫色に 爛れてました。そこまでなってるなんて知らなかったです。介護しさんがお風呂に入れてるのにわからなかったのかなぁ