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    • 2019/5/11 10:28
    • 鹿児島旅~2日目・知覧編④~
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    • 命がけで産んで
      大切に育て上げた我が子
      死なせるために産んだわけじゃない


      そう思っても【全てはお国を守るため】
      決して口に出すことは許されなかったのでしょう。


      我が子を失った悲しみは海より深いと言います

      余談ですがワタスの実の母・キョウコは、23歳でうちの妹を産んで間もなく病に倒れ、25歳という若さでこの世を去っておりまして
      月日が流れ、ワタスはキョウコの年齢を追い越し
      同じようにキョウコの母・サチコ(ワタスから見た祖母)も年を取り
      若干痴呆が入ってしまっていますが
      それでも愛娘・キョウコの名だけは決して忘れることはありません
      今でも事あるごとにお空の上にいる愛娘の名を呼び、話し掛けています

      それはキョウコが病魔に侵され手足が麻痺し
      やがて自ら言葉を発せられなくなり
      そして不幸にも亡くなってしまったその当時から何十年もずっと変わらないのです

      病死と戦死だと意味合いが違ってくるのかも知れませんが
      戦後は英霊となった兵士の数だけ
      サチコのように、海より深い悲しみを負ったお母様方がいらっしゃったのだと思うと…



      ワタスがこちらを尋ねた際は
      「子供たちから見た戦争」
      という企画展が開催されており

      当時の子供たちのおもちゃ、グリコのおまけなどが展示されていました
      兵隊さんや戦闘機など
      精工に作られた当時のおもちゃの数々に第二次世界大戦時の世相が表れていました
      有名どころでは のらくろ のおもちゃがあったりして


      そこで衝撃を受けたのは
      幸福を招くとされる縁起物の福助が戦時中は軍装して立っていたと知り
      座布団に座る頭の大きな福助の馴染み深い姿すら当然ではなかったということを知ったことです



      最後に会館横にあるお堂の観音様に手を合わせ

      ・無事この場所に導いていただけたこと
      ・初代館長様がご尽力くださったおかげさまで、兵士たちの生きた証をこの目で見ることができたこと
      ・英霊たちが守ってくださった日本にて自分が今日まで生かされてきたこと

      どれも決して 当たり前 などではない
      様々な事柄への感謝を述べ、会館を後にしました。



      平成から令和に切り替わるこのタイミングで
      自分が生かされている現在は
      とても平和で豊かな世の中なのだということを
      再認識させられました

      令和の時代もどうか誰しもが平和で穏やかに暮らせますように…
      そう願わずにはいられませんでした


      訪れることができて 本当に良かったです。

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