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    • 2012/7/22 23:00
    • 実の父親の姿
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    • 7年前、両親は自分が海上自衛隊に行ってる間に離婚していた。

      俺がそれを知ったのは休暇で実家に帰った時だった。

      休暇で家に帰ることを内緒にしていて両親を驚かせたかったが玄関を開け、眼前に広がる光景に立場が逆転した。

      帰省した実家には家具等一切無くなっていた。

      離婚して、実家は空き家状態になっていたのだ。

      俺に知らせなかったのはインド洋派遣を前に心配させない為の配慮だったのだ。


      父親は俺が5歳の時には8股をしていて母親はその事実を把握していたが俺達兄弟が成人するまで離婚はせずにいてくれた。

      当時、父親は長距離トラックの運転手、母親は自営業で刺繍の仕事をしながら夜はスナック喫茶を経営していた。

      母親は身体障害者で脚が開かず、夜の営みが出来ない。

      父親曰わく、そんな女に興味は無く、俺達兄弟への愛情は全く無かった。


      父親は俺達が小学校中学年の頃から毎晩酒を飲み、母親に対するストレスが溜まると母親がスナック喫茶へ出勤した後で俺達兄弟に暴力を振るった。

      角材で何回も殴られた上に、濡れタオルで顔面を激しく殴った。

      弟が顔面に濡れタオルを喰らい、左眼が腫れで開かず、唇は裂けて出血と内出血を起こし、鱈子のくらいに腫れた。

      それを見て父親は狂ったように笑い声をあげていた。

      俺は弟を助けようと反撃に出たが当時、小3の俺が36歳の父親にかなう筈もなく、反撃はかわされ、父親は俺の顔面目掛けセロハンテープスタンドを投げつけた。

      鈍い衝撃音の後、俺の眼は開かなくなり、父親は俺に馬乗りになると投げつけたセロハンテープスタンドで俺の顔面を殴り続けた。

      俺の意識はそこで途切れた。

      気がつくと心配そうに俺を見詰める弟と、顔面を左半分腫らして内出血を起こした母親がそこにいた。

      俺が反撃したと同時に弟はスナック喫茶で働く母親に連絡し、母親は大急ぎで戻って助けようとしたところで父親にゴルフクラブで顔面を殴られた。

      そのまま返り討ちにあった。

      身体障害者で脚がまともに歩けない母親と健康体の父親。

      勝負は見えていた。

      その時、子供ながらに悟った。

      “正義無き力は暴力なり、力無き正義は無力なり。”

      自衛隊に入隊する理由の1つとなった。

      そしてこのような出来事が多々あって、両親が離婚した事に未練等一切無かった。

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