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    • 2009/10/11 23:48
    • 適当に高村光太郎「レモン哀歌」感想文
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    • 自分が考えた奴だから多分糞

      智恵子は精神を病んでおり死への恐怖を感じていなかったのか死の床があかるいと表現されている。よく人は死ぬ直前に意識が正常になると言われるが、それなのかレモンが智恵子の意識を正常にしたのかは本人以外わからないが智恵子は意識を戻し手を握る智恵子の手には力も感じられた。肺結核を患い入院している智恵子の状態を喉に嵐があると表現している。“智恵子はもとの智恵子なり”は死の直前に意識を正常にした智恵子の様子を表している。智恵子は死の瀬戸際で精一杯筆者に愛を伝えたのだと思った。それからひと時、昔二人で山登りを楽しんだ時山項でしたような深呼吸を一つして智恵子は死んでしまった。そして、死後も智恵子の愛したレモンを写真の前の桜の花かげに置いている様子を表しているが、すずしく光るレモンと書いてある表現から最後には意識を正常に戻し精一杯の愛を伝えてくれた智恵子に満足しているのだろう。やりきれない思いや未練などは伝わってこない。筆者は今でも智恵子を思い、“すずしく光る”レモンを今日も置いているのではないだろうか。筆者は冷静に智恵子の死を表現することによって逆に智恵子の死を悲しむ様子を伝えているのだと思った。

      詩「レモン哀歌」より

      どうだろうか?

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