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- 2011/10/23 22:26
- 日本にも弁証法を2
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- 詰め込み教育は、高度経済成長時の、いわゆる模倣ビジネスを行うための教育と言っても過言ではなかった。それがやがて、先進国となるにあたって、他国の模倣ではなく、新たな高付加価値製品を生み出すために、詰め込み教育のアンチテーゼ的な発想で、ゆとり教育を生み出したのであった。ここまではよかった。
問題はこの後だ。ゆとり教育も、やがて学力の低下ということで、否定されることとなる。この2つの対立の矛盾は、否定され、保存され、昇華されるものとなり、発展していくものとはならず・・・、詰め込み教育へ後戻りしてしまった。これを後退といわず何というのであろうか。
教育をどうするのが最適なのかは、非常に難問だ。この難問は、私には解けない。だが、少なくとも私が主張したいのは、詰め込みのどこが重要なのかがまったくわからないということだ。詰め込んで、GDPがあがるのか。詰め込んで、豊かな社会になるのか。GDPは変わらないだろうし、豊かな社会どころか、幼少のころから勉強づくしで、生活にゆとりがでず、社会に出れば朝から晩まで自分の時間が取れないという、まるで発展途上国のような精神的な貧しさで生活することを余儀なくされるであろう。
とるべき道は、詰め込みとゆとりの総合である。このようなことに気づかない日本人に、発展の道はないであろう。
- 詰め込み教育は、高度経済成長時の、いわゆる模倣ビジネスを行うための教育と言っても過言ではなかった。それがやがて、先進国となるにあたって、他国の模倣ではなく、新たな高付加価値製品を生み出すために、詰め込み教育のアンチテーゼ的な発想で、ゆとり教育を生み出したのであった。ここまではよかった。