スヌーピーさんとモバ友になろう!
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- 2011/3/13 18:35
- 東北地方太平洋沖地震
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- 3月11日
午後14時46分頃。
私は仕事の昼休みを堪能していた。の緊急地震速報が鳴った。
は何も言ってない
揺れ出した
最初はまたか…
位に思っていた。
揺れはあっという間に酷くなり、外に出たら電線が有り得ない位に揺れていて、気分が悪くなる感じだった
次の瞬間、娘が家に居る事を思い出した
揺れてる中、車に乗って、自宅へ向かった。
橋を渡る時、揺れて気持ち悪かったのを覚えている。
信号は既に停電し、私は何キロ出してに戻ったか、覚えていない
は会社から近いのだが、到着した時もまだ揺れていた
のカギをあける余裕も無く、娘の名前を叫んだ。
の中から泣きじゃくった娘が出て来た。
見てケガが無い事を確認し、車に載せて、私は家の中へ。
玄関の靴が棚から落ちて散乱
居間は金魚の水槽から水が飛び出して、床がビショビショ。
飾っていた絵画が床に落ちていた。
タンスが倒れていたが、ネコはみんな無事。
寝室
タンスが倒れて服が落ちて、足の踏み場がなかったが、まずは大丈夫。
恐る恐る台所の扉をあけて覗いてみた。
食器が落ちて割れている。
トースターが落ちて壊れている。
まず後でいいやと無視した
外で地震がおさまってから、娘を会社に連れて戻った。
そこから、バカじゃないのと言う位の余震が始まった
会社もすぐに終わりになり、暗くなる前にとうざの食料品や必要品を買いたくても店があいていない
かろうじて見つけたコンビニに入り、飲み物やお菓子などをまとめ買い。既にパンやオニギリなどはスッカラカン
そのうち復旧すると思っていた電気が復旧しないまま夜になり、雪も降り、寒い夜となった。
真っ暗な中の余震は、更に怖く感じた。
娘と抱き合いながら眠った。
眠ったと言っても、ウトウトしただけだったがの
で何とか情報収集をし、長い長い夜でした。
しかし、無事だし、もある。
沿岸の人達を想うと、自分は幸せだと言い聞かせた。
まだ沿岸の友達とは連絡が取れない
宮城県の友達も、全く連絡が取れない
宮城野区…
頼むから、無事で居て下さい。
沢山の友人から、を頂いた
そして沢山のモバ内友人からや掲示板などで心配して頂いた
リアじゃなくても、こんなに深く付き合える友に出逢えた事を、心から感謝しています。
皆さん、本当にご心配をお掛け致しました
そして、ありがとう
- 3月11日