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- 2012/3/31 21:30
- 張作霖爆殺事件
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- 張作霖爆殺事件が起きたのは昭和三年6月のことです。満州東北部に勢力をもっていた張作霖が関東軍の陰謀によって殺された事件です。その背景を見てみましょう
張作霖は駐中華大使芳沢謙吉から日本の権益を守ることを条件に自分を満州に独立政権を作る権利を承諾。しかし関東軍は張林霖とは別の傀儡政権樹立を狙っていたため、関東軍は河村大作大佐に極秘任務を任した?
そして6月4日午前5時20分奉天駅付近の橋にて、張林霖を乗せた特別列車は爆発された。張林霖は重傷を負い、その日のうちに死亡。実は、この様子を奉天総領判事と民政党の一人がそれを目撃してあたらしく、いち早く民政党本部に知られた。時同じく、本土にも知らせは届く早急に閣議にて田中首相は西園寺公望の真相公表に同意していたが、鉄道大臣の小川平吉が異議を唱える「中国国民への信義より国益ではないか」に他の閣僚も賛成に回った。そして陸軍から反対があり、田中首相は閣議の前に天皇に「日本陸軍に疑いあり」と上奏していたため、頭をなやます。しかも国会では民政党に攻撃にあう。田中首相は天皇に「関東軍の証拠を得ず」と再び上奏した。しかし、天皇陛下は激怒し「話が違うじゃないか」と鈴木貫太郎侍従長に伝え、退室する際も「田中首相の言うことは二度と聞きたくない」と発言した。そのありのままを鈴木貫太郎侍従長が田中首相に伝えると田中首相は涙を流し退室していった。首相は総辞職を決意し、田中内閣はなくなった。田中首相は自分から浜口雄幸首相に変わるとわかった際には秘書にたいし、「国民、この首相官邸カフェオラガーが、次はカフェライオンとなると言っておるそうだな。今度はわしも頑張ってカフェオラガーをまた作ってみせる」と言ったと記録がある。その後、田中義一は持病の心臓を悪くして死んでしまった。
作者意見:よくよく考えて見るとなぜ、張作霖が北京を逃げたのか。もう一つは田中首相はなぜ、決着がつくまえに上奏したのか?
謎は未だ不明
- 張作霖爆殺事件が起きたのは昭和三年6月のことです。満州東北部に勢力をもっていた張作霖が関東軍の陰謀によって殺された事件です。その背景を見てみましょう