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    • 2019/12/11 3:01
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    • かつて日本の沿岸にはニホンアシカが生息していた。
      カリフォルニアアシカの近縁とされるが、北米のものより大型で、上顎の頬歯(きょうし 小臼歯と大臼歯)の数が一本多く、独立種であった可能性が指摘されている。
      1950年代までに、ほぼ絶滅した為、確認は不可能である。


      縄文遺跡からの出土物の中には、多数のアシカの遺物があり、アシカが北海道から本州、四国、対馬にかけて連続的に分布していたことがうかがえる。

      日本にはアシカ島、アシカ根、アシカ穴、アシカ婆といった地名が各地に存在する。
      江戸時代には、各地のアシカ島周辺にかなりの数のアシカが群れていたことが記録されている。

      『あしか島は、岸より四五町許はなれて、小島がふたつあり、年中あしか此の島に上がる事二三十、或いは八九十、多いときは二三百疋におよぶ』利根川図志(1858)

      藩政の時代には、アシカを始めとするその地の産物をむやみに獲ることは厳しく禁じられていた。

      たとえば、和歌山県日高郡由良町のアシカ島のアシカは、紀州藩初代藩主徳川頼宣から代々禁令によって保護され、アシカの回遊してくる時期には島の近くでの漁はもちろん、島に上陸することも許さず、地元の衣奈八幡宮司、上山家にアシカの監視を命じ、報告書を提出させるほどだった。

      だが、新政府になってからの保護政策は、藩政から引き継がれたものの徹底されず、1878(明治11)年を最後に由良町のアシカ島からアシカはほとんど姿を消した。

      明治の中期まで伊豆諸島の神津島の恩馳島(別名アシカ島)に群居していたアシカも絶えた。
      銚子や鴨川のアシカ島からも1907(明治40)年頃までに姿を消した。
      太平洋側の個体群は1900年代初め頃までにほとんど消滅してしまった。

      乱獲が主因であったと指摘されている。

      明治というのは、こんな話ばかりである。

      ニュースから、こんなことを思い出した。
      (爆発)

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