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- 2015/3/9 18:48
- あの日から4年…。
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- もうすぐ、あの恐ろしい大地震から4年が経ちます…。
最近、テレビで震災から4年…。っていう、特番のCMを良くみるので、(あぁ、4年経つのか…。まぁ、過去の事だしなぁ…。)っと思う方も居るとは思いますが…。
先日更新した日記に、常磐自動車道が東京都→宮城県まで開通したと書きましたが、2月末に福島県の南相馬市まで行った時は、まだ富岡ICまでしか行けませんでした。
震災後、放射能問題で常磐自動車道は通行止めだったので、実に4年振りに富岡ICまで車で行った訳ですが…。
実は、私は放射能問題は終息しつつあると思っていたんです。
だから、国道六号線も走れる様になったんだと…。
富岡ICから国道六号線まで、約5キロの道のりですが、物凄くショックを受けました。
以前は田んぼや畑だった所には、黒い土嚢袋に入った除染作業で出た、放射能に汚染された土が、何千、何万…。と積まれていて、辺りには白い防護服を着た作業員の方々が沢山居て除染作業をしていました。
富岡IC付近から帰宅困難区域の、大熊町、双葉町等の民家やお店の全ての建物の入口にはバリケードがあり、中には震災で崩れた民家がそのまま手付かずで放置されていました。
国道六号線は駐停車禁止、車の窓を開けてはいけないそうで、信号はずっと黄色の点滅信号。
畑は荒れ放題、飲食店も窓ガラスが割れたりして荒れ放題でした。
十字路もバリケードが置かれていて、警察官と警備員が至るところに配備され、ひとっこひとり生活している人は居ません。
あの日から4年も経つのに、未だに自分の家に帰れない人々は、どんな気持ちで4年もの間過ごしているのでしょうか?
その気持ちを考えると、本当に悲しい気持ちになりました…。
新築だった家で、これから明るい未来を信じて大熊町に引っ越しして来た方も居るでしょう。
それなのに、4年も避難しているんです。
代々、その土地に住んでいたのに、自分の代で住めなくなった方々もいるのです。
あの地震のせいで、放射能のせいで…。
その現実を目の当たりにして、私はなんて甘い考えだったのだろうと、涙が溢れました…。
あの震災で、未だに苦しんでいる方々、私独りでは何も出来ないので、軽々しく『頑張ってください!』なんて言えません。
苦しみも全ては理解出来ません。
でも、私はあの日からの、皆さんが送ってこられた日々を、決して忘れません。
どうか、元気に過ごして下さい。
- もうすぐ、あの恐ろしい大地震から4年が経ちます…。