日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2009/9/27 21:53
- 現実の女は汚い。
-
- コメント(0)
- 閲覧(18)
-
-
- とかなんとか宣う紳士が増えつつある昨今。
逆に「現実の男は醜い」と言う淑女の声もチラホラ。
では「ドコの誰が良いのか?」
それは創作の世界に他ならない。
置いといて、
エロビ、エロ漫画など男のシモ関係に出て来る女の思考や行動は「男の思考や行動」に近い。
つまり外見はカワイイ(美しい)女、中身は男だ。
別にゲイとかじゃなくやはり同属性の方が深層心理のツボに合うのだろう。
もしかしたら、女のエロメディアもそうなのかもしれない。
閑話休題。
現実は、一般社会的な道徳に照らすと、醜いグレーな曖昧世界。
人間は動物だから当たり前だ。
つまり、男はオス、女はメスと言う面を、誰でも引きずって生きなければいけない。
一転、創作の世界では動物要素を引きずらずに存在できる、完璧な存在。
最近のメディアの映画、漫画、ゲームだけではなく、
遥か昔の物語も、神話も彫刻も絵画も唄も芝居もそうだ。
表現したい一側面だけを丁寧に抽出してカタチにしただけのモノ。
しかし、それらはそれだけの存在だ。
その世界の境界を離れて存在はできないのだ。
しかし、現代の情報化社会は話題性のある「負の情報」ばかりを垂れ流す。
昔から人の有様は変わらないのに、白日の下に照らされたそれらを浮き彫りにしてしまった。
ゆえに現実は汚れ、創作はより美しく見えてしまう。
物語の英雄は美しい人と恋に落ちる。
ゲームの美少女は「ゲームの中のアナタ」と恋に落ちる。
なら、現実のアナタは、現実の誰かと恋に落ちるのが正論ではないだろうか?
神も悪魔も善も悪も「いない世界」だけれど、自分らしく生きれば愛し合える人は「きっといる」ハズ。
まあぶっちゃけ、その「自分らしく」が一番難しいんだけどな。
汚いけれど、だからこそ美しい曖昧な生物。
それが「人間」だ。
- とかなんとか宣う紳士が増えつつある昨今。