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    • 2012/7/3 20:33
    • 暇潰し神話考察⑦
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    • 黄泉から逃げ出たイザナギは、桃に『今後も私のように困っている人達がいたら助けてやってくれ』と話す。

      これを解釈すると、今後も黄泉の穢れから人々を護ってくれということだ。

      ならば黄泉と現世の境に桃の木があったのは偶然ではなかろう。元々そういった目的で植えられていたはずだ。

      この考えを検証するにどうしたらよいか? 弥生時代の桃の木など残ってはいまい。しかし種子ならあるいは…。

      そこで弥生古墳発掘での桃の種子出土例を調べてみた。すると出るわ出るわ。大漁である(笑
      あちこちの古墳から桃の種子が出土していた。

      この時代の桃は現代のものと違い古代桃と呼ばれている。果実は小さく種は大きく、酸味が強くて固いという、美味しいとは言えないものだったらしい。

      このような桃を大量に植えていた理由…。

      穢れが入りやすい集落の出入り口、貴人の屋敷、そして墓。こういった場所には桃が植えられたのだろう。弥生時代とは桃の時代であった。また呪的思想において大陸の影響を受けていたのは明白である。

      イザナギは黄泉の入口を『千引きの岩』(千人で引くような大岩)で塞いだ。黄泉に残されたイザナミから呪いの言葉が放たれる。

      『貴方がこのような仕打ちをするのなら、私は地上の民を一日千人殺しましょう』

      『ならば私は一日に千五百の産屋を建てよう』

      この呪いで人は一日に沢山死ぬようになった。しかしそれ以上に産まれるようにもなった。

      さて、イザナギとイザナミについては随分と語った気がする。古代の死生感、呪術、思想。これらはいまだ現代においても見られるものが多い。

      死は穢れである。現代でもそれを払うために塩を振ったり酒を撒いたりする。これのどこが弥生の昔と違うだろう?

      さて、古墳であるが、形状的に子宮をイメージしたものが多い。これは復活を願うものとされている。

      遺骸は鬼門の方角に頭を向けて横たわっていたりするらしい。ここにもその方角が死者の国であるとする大陸の思想が窺える。

      ところで何故死者の国に頭を向けるのだろう? 出産の際、赤子は頭から産道を通って産まれ落ちる。つまり…。

      死者は古墳という子宮から、鬼門という産道を通り黄泉へと産まれ落ちる赤子ではないか。ならば必ずしも古墳の形は現世への復活という意味を持たないのではないか。

      憶測はやまない。

      さて、もう少し書いておきたいエピソードがemoji

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