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- 2014/2/6 16:00
- 考察に必要な前提と政策本位の投票行為1
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- 考察に必要な前提を知ることの意義は何か。
前提を知ることによって可能なことは、候補者の掲げる政策のより正確な考察と比較である。これによって各候補者の掲げる政策の差異を認識することになり、政策本位の投票行為が可能になる。
政策本位の投票行為は人物本位の投票行為よりも合理的に判断できるという利点がある。なぜ合理的か。人選びは言葉としては綺麗であるし、政治を行うのは人であるのだから人選びの方に良さがあると感じるかもしれないが、本質的に投票行為は選択である。ここで大事なのは何のために選択するか(選択の目的)であり、目的達成のためにはそれに合致した選択基準が必要である。
ここでの選択の目的は、多くの人は、より良い政治を行う人物を選ぶことかもしれない。それでは選択基準はどうある方が良いか。
人物本位の場合、目的と合致しない基準で選択する可能性が出てくる。例えば「誠実そうだ」「まじめそうだ」というようなその人物に対する印象である。こういった印象は良い政治を行うかという判断に適するだろうか。仮に適するとしてもその印象と実像に乖離はないだろうか。また、そう推し量るに足る根拠はなにかというような問題が出てくる。さらに言えばそういった情報をどのように手に入れるのか。一日中候補者に張り付いたり、直接話をしてみたり、人伝に人物評を聞いたりといったところだろう。それを比較のために何人もの候補者に行うと費用(時間的、資金的、労務的)が大きくなるばかりか、情報の精度(噂話をどの程度信じるだろうか、友人や知人を客観的な評価や理解ができているだろうか?)にも疑問符がつく。
そんなことより能力の有無で判断する方が良い(情熱や熱意が大事という人もいるだろうが)。しかし、人物本位の場合能力の有無を何で判断するかという問題が出てくる。最終学歴か、高偏差値の大学出身であるか否か、前職がなにであったか……。
こういった問題が人物本位の選択基準には存在する。
- 考察に必要な前提を知ることの意義は何か。