クジラさんとモバ友になろう!
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- 2012/7/9 0:18
- 東北大震災宮城ボランティア
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- 福岡→東京→宮城へ1人で
ボランティアしに行ってきた
百の言葉より一つの行動
震災当時からメディアを通じて
ずっと気がかりで胸にあった
あーやこーや言う前に現地に行こう
そう1人で決め行きました
東京の人の多さに驚く
週末の天神とか比じゃないわ地下鉄多すぎ…
東京駅とかまじダンジョンやんこれ
集合場所に着き思った事
若い人が多い、これには正直驚きました
寧ろ俺でもおっさんの部類の
扱いかもやしれん総勢40名の人員
友達同士で来てる者、兄弟で来てる者
多々いる中で1人での参加は男女問わず多く
大学生から30代くらいの女性が多かった印象を受ける
最年少は高校生、最高年齢は50代
海外からボランティアに来た兄弟もいた
1日目は宮城県気仙沼大島へ海岸清掃
2日目は宮城県南三陸町の宿泊施設復旧
1日目海岸清掃中
2回人骨が見つかり警察沙汰に
恐らくは脚(脛の部分)の骨だろう
はっきり綺麗に骨が残ってた
2日目宿泊施設場所の荷物運搬と復旧
ボランティアメンバにコーキング打ち経験者がいなくて
俺経験者なんでコーキング作業をかって出る
小泉町へ向かい線路があった場所は
津波で破壊され途中で線路が無くなってた
気仙沼は基礎工事部分だけが残され地盤沈下
本当に何もかもが無くなってる
感じた事は確かに瓦礫は減ってる
しかし、現状は何も変わってない
勿論親同伴だけど4、5歳くらいの小さな女の子が
街が崩壊した被災地で冷たい氷水で
冷やしたジュースを売り購入すると
そのジュースについた水滴を拭いて手渡してくれた
これには胸が締め付けられた
色々被災地を見てきたけど
個人的に一番言葉に出来なかった景色(写メ3)
道路に打ち上げられた船(写メ2)
これに追悼の意の為に目の前に言って見上げてる時に
左肩に一瞬だが激痛が走った
恐らくここで亡くなられた方だろう…
船の真下に献花台がありその中に
被災した方の携帯が当時のまま置いてあり
見た時に津波時の映像が見えた気がした
まだまだ宮城にいたい、残って復旧したい
その気持ちが更に強くなった
- 福岡→東京→宮城へ1人で