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- 2023/5/28 6:18
- 父の逝去
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- 先日、父が亡くなりました。満80歳でした。若くして結婚し、4人の子供を育てあげ、と言っても育児はほぼ母任せで でもここぞ、の時は父親の威厳を振りかざす典型的な昭和の親父そのままでした。仕事は真面目で人一倍こなし、早朝から大型車を転がし夜は一番風呂に入り晩酌をかかさず。夕方には誰彼と仕事仲間が集まり酒を飲み、また早朝から仕事する、の繰り返し。晩年は仕事を退職してもジッとするのが嫌で 庭をはいたり畑で作物作ったり他の人の家の田植えを手伝ったり。
それが昨年の夏の終わり頃から体力がなくなり、8月にコロナになったからだろうと思い込み たまたま病院でいつもの薬の貰ついでに撮ってもらったレントゲンに癌が映りました。
もう進行していて手遅れ 余命3ヶ月の宣告を老夫婦がその場で宣告されました。私たち子供たちも、青天の霹靂とはこういう事かと思いました。治療の余地はなく緩和を目的とし、自宅療養を希望して3ヶ月、少し弱ったものの無事に過ごし、それから3ヶ月、寝たきり状態になったものの苦しむ事もなく、痛がる事もなく、眠るように息を引き取りました。意識が朦朧とする中、最後に会話した私には、日頃もういつ逝ってもかまわない、など言っていた父がか細い声で【85ばぁまでは生きたかったねや。】と言った言葉が忘れられません。軽い認知になり始めた母を残して逝く事に対しての思いもあったと思います。
姉と上の弟はまずまずですが、生活に不安がある私や下の弟はまだまだ心配の種であったに違いありません。これで良かったのか何かもっとしてあげれなかったのか、思いが巡ります。そんな中、お通夜の夜に、私の職場の元同僚が思いがけず弔問に訪れてくれ、言ってくれた事 【お父さんがニコニコして、ありがとう、ありがとうって言ってくれてる、今も家族の傍に寄り添ってるよ】と伝えてくれて いろんな思いが溢れてしまいました。その人はいわゆる見える、感じる人で 一緒に働いていた時もよく、見えた、感じた話を聞いてました。これからも家族姉弟仲良く過ごしてほしい、って言ってるよ、と教えてもらいました。父がそう思ってくれてるなら、少しは良かったのかな、と思えました。これから、またヒシヒシと父の存在の偉大さを知る日々になるでしょう。お金もないし出来ることは限られるけど、誠心誠意、父の供養をしていきたいと思います。
- 先日、父が亡くなりました。満80歳でした。若くして結婚し、4人の子供を育てあげ、と言っても育児はほぼ母任せで でもここぞ、の時は父親の威厳を振りかざす典型的な昭和の親父そのままでした。仕事は真面目で人一倍こなし、早朝から大型車を転がし夜は一番風呂に入り晩酌をかかさず。夕方には誰彼と仕事仲間が集まり酒を飲み、また早朝から仕事する、の繰り返し。晩年は仕事を退職してもジッとするのが嫌で 庭をはいたり畑で作物作ったり他の人の家の田植えを手伝ったり。