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- 2024/5/4 18:52
- 父
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- 20年前の今日、早朝に弟から電話があった。「オヤジが4んだ」と・・ネクタイで自ら・・だった。
生きてたら86歳である。
自由に生きた人だった。ボーリングのマイボール,マイシューズも持っていたし、社交ダンスもしていた。頭の回転も早かった。田舎者だけど、まあまあ格好の良い方だったかもしれない。
子供は私も含め3人いたが、誰1人社交ダンスは教えてもらってない。今からでは遅いがダンスだけは教えて欲しかったなぁと思う。
自由気まま・・もちろん家庭は大切にしない人であった。それだけならましも、自分の気分次第で妻子に○力、○言、今で言う○V・・
「誰のお陰で生活できてると思ってる」といつも言われてた。
好きだった人との仲も引き裂かれた。(勿論、相手もか○おちする勇気のない人だったのだが)
20歳で見合いし父の元に嫁いできた母はきつい姑、小姑にかなり辛い仕打ちを受けてたようである。
今なら即離婚なのだろうが母の実家が許さなかったらしい
私は父が嫌いだった。憎らしかった。早く4ねばいいのにとも思ってた。
自営業でそこそこ経営は上手くいってたが弟の結婚、同居が決まり、後継ぎもいないからと自営業をやめた。
あとは、普段から家族との折り合いは悪かった事もあり孤立していたようである。私も帰省した時に普通に会話はするも、どこか許せないところがあった。
今、還暦を過ぎ、あの時の父の年齢に近づいている自分がいる。
イヤなこと、辛いこと沢山ある。あと何年生きれるのかなって考える。
正直、自分も父と同じように・・と思ったことがないと言えば嘘になるが、近所から誹謗中傷受け好奇の目で見られた家族の思いを知ってるから、私は意地でも頑張っていきたい。
そう教えてくれた反面教師の父に、やっと「育ててくれてありがとう」と思えるようになったのは、数年前からである。
お父さん、あなたのお陰て生きれてます。本当にありがとう。
- 20年前の今日、早朝に弟から電話があった。「オヤジが4んだ」と・・ネクタイで自ら・・だった。