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    • 2012/7/19 15:26
    • ブラさとし 上野3 博物館動物園駅跡
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      今回は、京成線の博物館動物園駅跡について。

      京成線は、上野~日暮里駅間は地下区間を走りますが、この区間が開業するのは1933年のことです。当初よりトンネル工事が計画されるも、極めて難関でした。というのも、地上には上野公園があり、当時は御領地(皇室の土地 )であったため、御前会議の許可を得る超難関がありました。
      ...

      これは突破できたものの、トンネル工事において、従来の、露天掘りといわれた開削方法では、御領地内の桜の木を傷つけてしまえとされ、地上から2、5m下に、非開削のトンネルを作るという、難工事が行われました。

      上野~日暮里間には、寛永寺坂駅と博物館動物園駅がありましたが、寛永寺坂駅は1953年に廃止。博物館動物園駅は、1997年に営業停止され、2004年に廃止されました。


      なお、博物館動物園駅の地上出入口は、皇室用地だった東京帝室博物館(現・東京国立博物館)敷地内に設けられたものと、上野動物園旧正門へ続く2箇所ありましたが、旧正門口は、昭和40年代に、現在の動物園正門が開設され、人の流れが変わったことで閉鎖。国立博物館側は最後まで使用されました。

      東京国立博物館側は、中川俊二設計で、国会議事堂中央部分のような西洋様式の外観が特徴でした。

      駅構内は、自動販売機や自動改札機などの近代的な設備は皆無で、駅員が手売りする状況で、ホームには、東京帝室大学の学生たちが書いたペンギンの絵などが壁に描かれていました。また、戦時中には、レールを1本余計に敷き、国鉄の優等列車の避難場所になっていて、それが原因か、壁がすすけた状況でした。

      尚、廃止された理由には、この区間がカーブが多く、博物館動物園駅では、京成線の普通電車の平均が6~8両編成が主流になり、止められる電車が少ないことや、乗降者数の激減、4両編成の電車すらはみ出てしまい、安全上危険であった、などが挙げられます。

      写真は博物館動物園駅跡を収めたものですが、最近では、この駅舎が秋元治著「こちら亀有公園前派出所」に取り上げられ、また、その佇まいから、スケッチされる方が多い、と言われています。

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